「わかる」ということの意味。

なにかを「わかる」とは、どういうことか。


たとえばあなたが、イラストレーターだったとしよう。

そして「うさぎをモチーフにした、マスコットキャラクターをつくってくれ」とのオーダーを受けたとしよう。企業や自治体、サッカーチームなどのマスコットキャラクターをつくる。ゆくゆくはLINEスタンプやグッズ化、アニメ化などを視野に入れるくらいの人気キャラクターに育てたい。女子高生に大人気のキャラクターをつくりたい。くまモンやふなっしーを超える人気者、なんならマリオやミッキーマウスに匹敵するくらいの人気者をつくりたい。そういうオーダーだったとしよう。

このとき、どこから作業をはじめるか。

もしかするとあなたは「いま女子高生にはどんなキャラクターが人気なのか」の市場調査をはじめるかもしれない。古今東西のさまざまなキャラクターが愛され、支持されている理由を分析し、その構成要素を洗い出すかもしれない。顔かたち、配色、表情、アクション、キャラクター設定、分析しようと思えばいくらでも分析できるだろう。

でも、そこに答えはない。少なくともいちばん最初にやることは、それじゃない。最初にやるべきことは、なにか? 何年も前、ほぼ日に登場した吹石一恵さんが大切なヒントを述べている。

うさぎが大好きだという吹石さんは、ディズニーの「ミス・バニー」というキャラクターが好きなのだという。

吹石
これをデザインした人は、ぜったいにうさぎのことをよく知ってる人だと思うんです。

山下
はい、そんな感じがしますね。

吹石
うさぎのからだの構造もちゃんと知ってて描いているというか。


ほぼ日刊イトイ新聞「カッパとウサギのコーヒーさがし」より

つまり、少なくともディズニーの人たちは「うさぎのからだの構造」を丹念に調べあげ、骨格や筋肉、毛の流れ、耳の位置、ほおの膨らみ、耳の表情などをしっかり「わかった」うえで、具体的なキャラクターづくりをはじめている、ということなのだろう。

それではなぜ、からだの構造なんかを調べあげるのか。どうせデフォルメするのだから、擬人的に描くのだから、そのへんはどうでもいいじゃないか。そこまでしてリアリティを追求する理由はなんなのか。

これは別に、リアリティを追求しているのではない。からだの構造をしっかり理解することによってようやく、そのキャラクターを「動かす」ことができるのだ。

うさぎのキャラクターが驚いたとき、どんな動きをするのか。大口をあけて笑ったとき、どこの筋肉が動くべきなのか。ジャンプしたとき、うしろ足はどうなっているべきなのか。敵に追われて逃げるとき、両の手足はどう動いているべきか。

やがてデフォルメしたキャラクターとして自由自在に動かすため、まずは動きの原理を理解する。そこが「わかる」ことによってようやく、アニメーション的なあそびがふんだんに使えるようになる。そこが「わからない」ままだと、そこの理解をさぼってしまうと、顔だけがうさぎっぽい、できそこないの宇宙人みたいなキャラクターになってしまう。


ぼくはしばしば「わかったことだけを書く」という話をするのだけど、それは書ける範囲を限定するような話ではない。もっと自由に、もっと豊かに書くために、まずは「うさぎのからだの構造」に類することへの理解に務め、そこがわかったうえでようやく書く、という意味の話だ。

ほんとはもうちょっとうまく説明できるはずだし、そうしたいんだけど、とにかく。「わからないまま」に書かれた原稿は一発でバレちゃうし、だからこそ「書く」のはめんどうくさいことなんですよね、というお話でした。

武士は食わねど高橋ジョージ。
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古賀史健

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