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わたしのこころのタコ野郎。

サッカーをやっていたころ、ぼくの足はタコだらけだった。

足のうら、ゆびというゆび、かかと、いろんなところに分厚いタコができていた。疎ましさと誇らしさの両方を感じながらぼくは、コチコチに固まったタコを定期的にカッターナイフで削っていた。タコがあるからサッカーがうまい、とは限らない。というか、相関性はゼロに等しい。けれども、真剣にサッカーに取り組んだ人の足にはかならず分厚いタコがある。何度もはがれた爪は、まるでミルフィーユのように重なり合い、足の印象をさらにグロテスクなものとする。

サッカーボールを蹴らなくなって25年。もはやぼくの足はつるつるのすべすべだ。そこにタコがあったことなど想像できないくらい、ふつうの人のふつうの足になった。先日、犬のおもちゃとして買ったビニールボールでリフティングしてみたら10回と続かなかった。元サッカー少年を名乗るのもむずかしいくらい、ときは流れたのだと空を見上げた。


ライターの仕事に就いて20年が経つ。

サッカー少年だったぼくの足がタコまみれになり、ゆびのかたちや爪の構造まで変形しまくっていたように、この20年でできたタコ的なものはいろいろあるんだろうな、と思う。さいわいにもぎりぎりでキーボード世代にすべり込めたのでペンダコはない。でも、こころのペンダコ的なものはあるだろう。

たとえば最近、ますます「書かないと、考えられない」自分に直面している。考えるために書き、書いたものを頼りに考え、そこで考えたことをまた書いていく、というよくわからないループにいる自分を、よく見かける。

……みたいなことをまた、書きながら考えている。

それで技術が向上したとかではたぶんないわけで、まさにこころのペンダコ、心身の防御反応なんだろうなあ、と思う。