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書評って、むずかしい。

前にも書きましたが、いま小説の書評連載をもっています。

連載といっても隔月。2か月に1回、なんか小説を読んで1000文字くらいの所感を書けばいい。本を読んで金がもらえるなんて、贅沢な話じゃないか。そう思われる方は多いでしょうし、ぼくもそう思っていました。そしてまた、事実の部分を書き連ねるならば、まったくそのとおりなのです。

ところがまあ、小説の書評ってのはほんとにむずかしい。なにがそんなにむずかしいのか。いくつか理由を考えてみたいと思います。

まずぼくはライターにあるまじき遅読家です。小説ひとつ読むのに、ひと晩はかかります。たぶん最初に『カラマーゾフの兄弟』を読んだときなんて、ゆうに1カ月はかかったと思います。

続いて書評を書くとなれば、とくにそれが小説の書評であったならば、それなりにストーリー紹介をせねばなりません。仮に全体が1000文字の原稿だとすれば、400文字から600文字くらいがここに費やされます。物語のアウトラインをなぞりながら、その醍醐味的な核心部分に触れることを避けつつ、それでもおもしろそうだ、おれも読んでみようかと思ってもらえるような文面を考える。慣れの問題もあるでしょうが、まだまだぼくには骨の折れる作業です。

そしてある小説を論じるにあたっては、周辺の作品に目を通しておく必要もあるでしょう。その作家の過去作はもちろんのこと、類似するテーマを扱った名作、なにか接点がありそうな気のする記憶のなかの既読作。ちなみにきのう、ある小説の書評を書いていたのですが、いつの間にかぼくは『カイジ 賭博黙示録』やら『蟹工船』やらを読んでいました。とはいえ、そこで仕入れた情報を直接書くことはなく、「うん。そうだった、こうだった。ここまでは書いてもいいし、これ以上は書かなくていいや」みたいな確認をするだけです。

そこでようやく書評本体の入口を考え、そのトンネルをひたひた歩き、ときに引き返し、また別ルートの入口を探し、出口の光が見えるまでずっとぐるぐる歩き続けます。限られた文字数と格闘しながら。


そんなこんなで読み書きしてると、ひとつの小説を読んで、所感を書き上げるのに、どうしても2日はかかっちゃう。本気でやるなら1週間。

いやー。この仕事してると、半年や1年をかけて書いた本について「あんまりおもしろくって、2時間で完読しました」みたいな感想をいただく機会があるじゃないですか。あるんですよ。これ、ほんとにありがたいことなんだけど、「はーっ。2時間で終わっちゃったかあ」と思ってしまう自分がいるのもまた事実なんですよねえ。頭では理解できているけれど、ぼく自身もビジネス書はそういう読み方をしているけれど、なんか「はーっ」と思っちゃう。

その人が書いた時間をなぞることなんて到底できません。でも、思いをなぞる努力については、さぼりたくないなあと思うのです。