ロングピローと1周年。

これはちょっと、なんかヤバイんじゃないか。

最初に断っておくと仕事の話ではない。仕事がヤバイのはいまにはじまった話ではなく、ライター業を営むようになってからずっとヤバイ。きょうもヤバイし、明日も来週も来月も来年もヤバイ。いまぼくが問題にしているのは、プライベートのヤバさである。耶馬溪ダムである。耶馬溪ダムは「やばけいダム」と読み、大分県中津市に位置するバス釣りの名所である。

仕事が終わる。大抵は終電前後に、仕事を終える。まっすぐ家に帰る。テレビを見ることは、ほとんどない。時間的にニュース番組は終わっているし、深夜番組も労働後のテンションとそぐわず、あんまり見ない。本を読むのはベッドサイド。録画した番組は、見るとしても週末。じゃあ、帰宅してから就寝までなにをしているかというと、いちおうは犬とあそんだり風呂に入ったりもするのだけれど、なんだかんだでスマホを触っている。以前はパソコンを覗いていたはずだけれど、それさえも億劫になり、ただただスマホを触っている。

これ、やっぱりヤバイと思うのだ。

しかも、たとえばスマホでSNSやニュースサイトを覗いていたとして、なにかに憤慨したり、どんよりしたり、カチンときたりするのって、時間の過ごし方としてものすごくもったいないような気がするのだ。

いったいぼくの毎日に足りないものは、なんだろう。

帰宅後のソファに足りないものは、なんだろう。

酒好きであれば、ここに晩酌という選択肢もあるのだろうけど、そしてぼくはお酒が嫌いな人間じゃないのだけれど、せっかくこの歳まで晩酌という習慣を持たずに生きてきたので、それは死守したい。なんとなくの予想でしかないものの、得るものと同じくらい多くのものを晩酌は失わせるような気がする。

そして帰宅後のソファではハードカバーの文学を読むのもそぐわないし、それは就寝時のたのしみにとっておきたい。2時間の映画を鑑賞する時間や体力もなく、最近はヨーロッパサッカーを観る機会も減ってきた。


雑誌かな、と思った。

ぼくの日常、ぼくの帰宅後のソファに足りないのは、雑誌ではあるまいか。それもユリイカとか現代思想とか群像とか文學界とかではなく、のほほんとした雑誌。エロもなく、モテもなく、オシャレも立身出世もない、煩悩から切り離された雑誌。そういうものをぼくは、帰宅後のソファで読みたいのではないだろうか。考えてみれば会社で定期購読している雑誌はいくつかあるけど、自宅で定期購読している雑誌はなかったな。

熟考の末に先日、この雑誌の定期購読を申し込んだ。まだ届いていないものの今後のソファ生活がどう変わるのか、なにも変わらないのか、いまからたのしみである。


という話を枕に書こうと思ったら、枕がやたら長くなってしまった。

きょうは、犬猫アプリ「ドコノコ」の1周年なのだそうだ。ぼくが犬と暮らすようになったのは去年の9月だけれども、この1年でいちばん触ったアプリは間違いなくツイッターとフェイスブックとドコノコが3強である。

そして大事なことに、ツイッターやフェイスブックで「ふざけんじゃねえよ、おまえはよ!」と腹を立てたことは何度もあるけれど、ドコノコをやっていて腹が立ったことは一度もない。人と人がオンライン上で交わればかならず生まれるはずの諍いが、そう信じて疑わなかった諍いが、ドコノコの空間には存在しないのだ。そしてドコノコが単なる飼い主の自己満足ツールになっているかというとそんなことは全然なく、ちゃんとコミュニケーションのツールになっている。いま、ぼくは確実に「みんな」でぺだると暮らしている実感がある。ご近所さんなのか、親戚のおじちゃんおばちゃんなのか、なんだかよくわからないけれど、やさしい「みんな」に見守られながら、ぺだるは大きくなっている。その姿はちょっと、うらやましいくらいだ。

ドコノコ1周年、おめでとうございます。そしてこんなにすてきな場をつくっていただき、ありがとうございました。

どうかこのまま、このままに、おおきく育ってほしいなあ。

毒を食らわばサラダで。
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古賀史健