未来がわからないぼくの考える未来。

おもに自分用の、備忘のメモとして。

日曜日に登壇した「明日のライターゼミ」の懇親会で、隣に座る若い方からこんな質問を受けた。「これからの出版業界やコンテンツ業界はどうなっていくと思いますか?」。あちゃー。そんなことおれに訊くなよ、人選ミスも甚だしいよ。困りながらぼくは、正直に話した。

「出版の未来はこうなるんだとか、コンテンツは今後こうなっていくはずだとか、ぼくがその手の未来予測を立てたところで外れるに決まっている。正直な話、10年前のぼくは、こんな2018年をまったく予想していなかったし、予想してる場合じゃなかった。ただ『いいもの』をつくることだけを考えていて、それは間違っていなかったと思う。だから、中途半端な未来予測や業界予測は立てないことにしている」

あてずっぽうに挙げた「10年前」という数字だけれど、いま調べてみたところ2008年、34歳だったぼくは年間12冊の本をつくっている。その前年は10冊、翌年は15冊だ。ひとつの本に何年もかけている現在では、到底考えられない数字だ。ほんとうに目の前の仕事をばりばりこなし、将来のことなんて、しかも出版業界全体の未来なんて、なんにも考えていなかったと断言できる。

とはいえ現在、ひとつだけ「だんだんとこうなっていくのだろうな」と思っていることはある。訊かれなければ言わない話だし、わざわざことばにする必要も感じないのだけど、いい機会だと思って書いておこう。


売れる本(ひと)、売れない本(ひと)の二極化

よくいう「本が売れない時代」というのはじつは嘘で、それは「まんなか」がなくなっていくだけだと、ぼくは思っている。まんなかとはつまり、「そこそこ売れる本」だ。いまでもその傾向はあるけれど、今後ますます売れる本と売れない本の二極化は激しくなっていく。そして売れなかった人は「本は儲からない」と判断して、その場から撤退していくか、密度のうすい本をうすく売り切ろうとするかしていくだろう。つくり手みずから、ますます売れない方向へと舵を切るだろう。

だったらぼくのやることは簡単で、「売れるほう」に行けばいい。ありがたいことに、これまでぼくが「売れた」と思えた自分の本は、売れ線を狙った本ではなく、すべて自分のやりたいことをやりきった本だったりする。5%でも1%でも「売れる本」があるかぎり、自分もそこの住人になろうと努力すればいい。ただそれだけのことだ。

これは「ひと」についても同じことがいえて、きっとこの先「売れるひと」と「売れないひと」の二極化が激しくなっていく。貧すれば鈍する、のことばどおり(金銭的な意味でなく)売れていないひとは、みっともなく小銭(こちらも概念としての、小銭)を稼ごうとするだろう。簡単に手に入る小銭は、そのひとの手先指先ばかりを鍛え、根っこを育ててはくれない。小銭(たとえばささやかな拍手)の誘惑を退け、土を耕したり種を植えたりの作業に、どれだけ自分を捧げられるか。どれだけ自分を信じられるか。たぶんそこが「売れるひと」とそうでないひとの境界線になると思っている。



そういえばきのう、燃え殻さんと「FMWの試合をやってちゃ、10年もたないんだよね」という話で一致した。あの刹那的なかっこよさもわかるし、あこがれは確実にあるんだけどさあ、と。

椅子の上にも3円。
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古賀史健

古賀史健(2018)

古賀史健の note、2018年分です。
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