見出し画像

はじまりとしてのおめでとう

ぼくの友達に、「誕生日を祝ってはいけない」と言い張る編集者がいる。

自分の誕生日をひた隠しにして、周囲のひとびとの誕生日も祝おうとしない。彼によると、世間でお祝いされている誕生日は、すべてが嘘であり欺瞞なのだそうだ。ほんとうの誕生日とは、西暦○○年○月○日という1日だけしか存在しないはずで、西暦の一致しない日を「誕生日」としてお祝いするのは、宝くじの「組違い賞」を1等当選だと言い張るようなものらしい。

と、そんな子どもみたいな屁理屈をこね、子どもみたいな屁理屈のなかに生きることができるのが彼の編集者としての魅力なんだけど、それはともかく。

お誕生日おめでとうの「おめでとう」は、なにを祝っているのだろう?

たとえば20歳の誕生日を迎えた女の子に「おめでとう」の声をかけるとき。そこで祝福されているのは「ここまでの20年を無事に生きてきたこと」なのだろうか。それとも「きょうからはじまるすばらしい20歳」を祝福しているのだろうか。

30歳を越えたあたりから、みんな「祝ってもらうような歳じゃないけどね」と自嘲するものだけど、祝福されているのが「きょうからはじまるすばらしい1年」だとしたら、そりゃあ祝ってもらわなきゃ。ろうそくだってふーふー消さなきゃ。

えーと、今回で無事に200本目を迎えたこの note について、200という数字の意味について書こうとしたらこんな話になりました。