迷うよ、惑うよ、まだまだこれからも。

ある方とのおしゃべりをきっかけに、このところずっと考えている。

ほんとうはとっくに考えておくべきだった、むしろ「はっ? いまごろになって考えてんの?」と驚きと侮蔑の目で見られるであろう大事なこと。すなわちじぶんの会社の「事業」についてである。

こう聞いた段階で、ぼくをよく知る人の大半は「あーっ、やめとけやめとけ。お前にその才はないから」と助言してくれるだろう。ぼくもまったく同じ理由から、どうやって儲けようかみたいなことは考えないようにしてきた。正直な話をすると、いまもまだ「儲ける道」については考えをめぐらせていないし、たぶんぼくの頭で考えてもロクな結論は出ないと思う。商売人としてのじぶんは、まったくもって信用していない。

それよりもいま、ぼくが考えているのは「じぶんがどうありたいか?」だ。

これは「どうしてこんなに働くのか?」とつながる問いでもある。


お金がほしいのか。地位や名誉がほしいのか。ちやほやされたいのか。残念なことにぼくは何億・何十億という大金を稼いだことがない。地位や名誉も、それが甘いのかしょっぱいのか皆目わからないくらい無縁なままだ。なのであんまりはっきりとは言えないけれど、決して草食でもさとりでもないけれど、お金や地位や名誉をほしがっているのではない気がする。もっと若いころは「ちやほやされたい」があったと思うけれど、枯れちゃったのかなあ。いまはどちらかというと「そっとしておいてほしい」のほうが強い。それこそ事業欲を支えるようなギラギラ性は、ほぼ皆無だ。


ただぼくは、「機会」がほしいのだと思う。その機会を確実につかむための、なにかがほしいのだと思う。

なにかおもしろそうなことを見つけたときに、「はいっ! それ、ぼくがやります!」と手を挙げる。すると周囲が「おお、じゃあ古賀さんよろしく」と、すんなり認めてくれる。「古賀さんなら安心だ」とやらせてくれる。

その権利なのか資格なのか約束手形なのかがほしくて、ぼくはドタバタたくさんの仕事をしてきたし、しているのではないか。だって、そのためにはいつでも現役の人間でいなければならないのだから。むかし取った杵柄をぶら下げて「さあわたしに任せなさい」なんて、あんまりにもみっともないし、誰からも相手にされなくなるし通用しなくなるのだから。変化が乏しいと思われがちな書籍の世界でさえ、2年・3年で現場感覚は衰える。むかしの杵柄は、すかすかの枯れ枝になる。


とはいえ、この「現役であらねば」意識が、ぼくに「事業」を考えさせることを制限させていたのは間違いない。

いま、ひとつ「これができたらおもしろいだろうなあ」という、本とは別のアイデアが浮かんでいるのだけど、それはぼくの現役性を妨げるものなのかなあ。現役ではありたいものなあ。

もう少し考えてみます。

武士は食わねど高橋ジョージ。
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古賀史健

何度も読み返したい素敵な文章の数々vol.10