切れ者にならない生き方。

あたまがいい、とされる人にはいくつかのタイプがある。

とくに「切れ者」とみなされているような人たちは、切り返しの速さ、的確さ、あるいは声の大きさ、揺るぎなさ、なども手伝って「あたまがいい」と評価されているのだと思う。このタイプの人たちは、「答えを出す速度」に優れている、ともいえる。

しかし、ここには大きな落とし穴がある。

彼ら秀才たちは、与えられたわずかな情報のなかから、即座に自分なりの解を導き出す。そして導き出したおのれの解を補強すべく、その場で頑強な論を組み立て、根拠となる事例をあちらこちらから引っぱり出し、正解キャッスルをみるみる築城していく。

が、そこで築かれた城の天守閣にあるのは、じつは見当外れの思いつきであることが多い。あまりに見事な築城の手腕に周囲の人も、多くの場合は本人も、天守閣のいい加減さを忘れ、お堀や石垣そのものにほれぼれするようになる。その城を、誰も壊せなくなる。

要するにこの種の切れ者たちは、取り繕いの天才であり、自己正当化の天才であることが非常に多いのだ。


会合などの場で切れ者に見られなくても、とるに足らない凡夫と見られても、あるべき城を時間をかけてつくっていける人間でありたいなあ、と思う。ぼくのやってるのはそういう仕事なんだろうなあ、と。


教祖猫を噛む。
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古賀史健

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