コラムとエッセイ

移り変わりのはやいインターネットの世界ではもう古い話題になるのだろうけど、「ニューズウィーク日本版」のサイトに掲載されたパックンのコラム

コラムの役割とは「視点の提供」である。

なにかの対象に関して「こういう見方もあるよ」「こっちから眺めるとこんなふうにも見えちゃうね」という視点を提供するもの。それがコラムのお仕事であり、コラムニストに課せられた役割だ。少なくともぼくは、そんなふうに認識している。

だから往々にしてコラムニストは、「ふざけたやつ」に見える。みんなが右と言ったら左に、左と言ったら右に、暑いと言えば体を震わせ、寒いと言えば扇風機を回してみせる。ひどくあまのじゃくに映るし、「けっきょくお前はどう思ってるんだっ!」とお叱りを受けることも多そうだ。

けれどもコラムニストの発言が「コラム」のかたちをとる以上、そうした批判に対しても、ある意味へらへらと、怒れる人をおちょくるがごとき態度で「視点」を提供せねばならない。というか、それが習い性になっているのが、コラムニストという人びとだ。

上記パックンの文章についても「けっきょくお前はどう思ってるんだっ!」とイライラする人がいるのかもしれない。でも、これはコラムであり、彼の仕事は答えを明示することではなく、視点を提供することなのだ。

逆にいうと、最近「正義」を代弁するかのごときコラムが、コラムニストが増えているような気がする。ぼくの感覚からすると、それは凡庸なエッセイであり、ファン以外には届きえない「答えらしきもの」にしか思えない。ほんとうのコラムとは、書き手のファン以外にも届くものだ。

いいコラム、もっと読みたいなあ。

武士は食わねど高橋ジョージ。
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古賀史健

ライター。バトンズ代表。著書「嫌われる勇気」「古賀史健がまとめた糸井重里のこと。」「20歳の自分に受けさせたい文章講義」など。週日更新しています。http://www.batons.jp
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