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きょうは原稿を書かない。

考えてみればおそろしいことで、ぼくは毎日原稿を書いている。

忙しかったり行き詰まったりで3行しか進まない日があったとしても、なにも書かない日というものは基本的になく、かならず毎日なにかの原稿を書いている。もちろんこの note は「原稿」ではない。これ以外の、主に書籍のための原稿を、毎日せっせと書いている。

けれどもきょうは、原稿を書かない予定だ。会社の決算と個人の確定申告が差し迫り、そのための書類を集めたり確認したり、足し算や引き算をしたりで、まる一日を費やす予定だからだ。場合によっては、かけ算やわり算をすることだってあるかもしれない。

前にも書いたかもしれないけれど、ぼくは高校時代に200点満点の数学のテストで「2点」というすさまじい点数を獲得した生粋の私立文系男子だ。担任の数学教師から「どうすればこんな点数が取れるのか教えてくれ」と真顔で問い詰められたのを憶えている。説教を聞きながらぼくは、のび太の偉大さを思った。おれは完全に解くことをあきらめ、ほんとにテキトーに回答欄を埋めていったにもかかわらず、選択問題でうっかり1問だけ正解をつかみ、中途半端に2点を獲得してしまった。毎回きれいに0点をとりきるのび太は、どんだけ引きが強いのだろう。おれはのび太にさえなれない、ただのバカなのだ。


数学にかぎらず、いろんな方面でおのれのバカを実感しながら生きてきたぼくは、やがてこんなふうに考えるようになった。たぶん自分が数学に苦手意識を感じた最初の場面は、わり算だ。実感をもって理解できる足し算や引き算とは違い、九九の丸暗記で切り抜けたかけ算とも違い、わり算はどうにも抽象的なお話だった。あそこで「よくわからないけど、わからないままにこなす」ことを選んだ結果、その先のいろいろがいよいよもってわからなくなっていった気がする。さて、大切なのはここからだ。


いったい「あのころのおれ」は、どんなふうに説明を受ければ心の底からそれを理解・納得していったのだろう?


原稿を書くとき、いつも考えていることである。底抜けにバカだった「あのころのおれ」の、いわば理想の教師になる。「こんなふうに教えてほしかった」を考える。そういう文章を書くことができれば、たぶん誰だって理解できるだろうし、その読みものはきっとおもしろい。さらにはまた、バカだった自分に感謝し、いまなおバカであり続ける自分を肯定することさえできてしまう。

なので、なにかの気の迷いで「おれはかしこい」と思ってしまった瞬間、ぼくはほんとのバカになり、役立たずな物書きになっていくのだ。