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すべてのアスリートは先輩である。

きのうの帰宅後、録画していたサッカー日本代表戦を観た。

強豪ウルグアイを迎えての親善試合。立ち会い出産だったかなんだったかのためにスアレスが参加していないとはいえ、それでもウルグアイだ。ロシアW杯のポルトガル戦で、ぼくが大会ナンバーワンと記憶するスーパーゴールを決めたカバーニ要するウルグアイだ。

試合の詳細については書かない。ただ、若手選手が大活躍した試合だった。中島、南野、堂安の3人はさっそく「NMD」なんてトリオ名で呼ばれているけれど、いかにもたのしそうに、悲壮感ゼロでピッチをびゅんびゅん走りまわり、あのウルグアイを翻弄していた。メンタルもフィジカルも図太い、この3人は。これからの日本代表、ほんとうにたのしみだ。

と、思わず新生日本代表の「これから」にわくわくしてしまう試合だったのだけど、このわかりやすいにも程がある世代交代ってのは残酷な話でもあって。

やっぱりぼくは、今後彼らとポジションを争うであろう香川、乾、原口といったロシア組はもちろんのこと、代表引退を表明した長谷部や本田たちの「これから」について、どうしても考えてしまう。もっといえば南アフリカ大会を最後に代表から離れた中村俊輔や、ブラジル大会を(実質的な)最後に代表を離れた遠藤保仁、あるいは度重なる怪我でロシア大会の出場が敵わず、今後の見通しも決して明るいとはいえない内田篤人。そういう選手たちの「これから」を考えてしまう。

それが辞退というかたちであれ、単なる不選出であれ、代表から離れるということは、普通に考えて「ピークを過ぎた」と見做されている状態だ。トップを極めたアスリートなので、その自覚はみんなあるだろう。

で、まだせいぜい30代前半という年齢で自分が「ピークを過ぎた」ことを自覚し、その評価を引き受けながらプレーを続けるって、どういう感じなんだろうなあ、と思うのだ。

たとえばぼくだって、いつかピークを過ぎる。ひょっとしたらもう、過ぎている可能性もある。こなせる「数」の低下は、如実に感じている。それは質が上がったのだと、自分に言い聞かせている。

ほんとうに「そのとき」がきたときにぼくは、自分がピークを過ぎた人間だと、自覚できるのだろうか。その残酷な事実を受け入れることができるのだろうか。そしてそれでもなお、現役を続ける覚悟を持てるのだろうか。来年にはもっと成長した自分がいる、という前提でしか努力を続けられないのではないか。


アスリートはいつだって人生の先輩だ。

ぼくらより先にデビューし、先にピークを迎え、ゆっくりと(あるいは急激に)坂を下って、ぼくらより先に引退していく。

中島、南野、堂安らのこれからを応援するのと同じくらい真剣に、代表から離れた選手たちの今後を見守りたい。

出る釘は浮かれる。
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古賀史健

ライター。バトンズ代表。著書・共著「嫌われる勇気」「古賀史健がまとめた糸井重里のこと。」「20歳の自分に受けさせたい文章講義」など。週日更新しています。http://www.batons.jp

古賀史健(2018)

古賀史健の note、2018年分です。
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コメント4件

いつも読ませていただいています。一点だけ確認ですが、二行目、強豪ウルグアイでは?
ありがとうございます。修正いたしました。
小野伸二さんも稲本潤一さんもコンサドーレ札幌でそこそこ元気でプレーされています。
ピークは一つしかないと思うと、確かにちょっとさみしいかも。
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