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すみません、ありがとう

もう何年も前のこと。

なかなか言語化しづらい「大物感」をテーマにした本を、お手伝いさせていただいたことがあります。その名も『しょぼい自分を大物に見せる技術』という本です。

ふまじめそうなタイトルでありながら、ふざけたような見た目でありながら、意外と役立つおもしろ話がたくさん入った、いい本でした。こういう、かるい思いつきをそのままに突っ走る本って、おもしろいんですよね。

この本で採り上げたかった「大物感」は、まさに「感じ」の話で、ほんとうに大物であるかどうかはまた別の話になります。

そして当然、ぼくは小物感まるだしの人間なのですが、それって結局「すみませんの人」だからなんだろうなあ、と思うのです。

なにかいいことをしてもらったとき、思わず「すみません」と言ってしまう。恐縮して、頭を下げることで、感謝を伝えようとする。きっと大物感のある人ってのは、こういうとき素直に「ありがとう」と言える、「ありがとうの人」なのでしょう。


「すみません」と「ありがとう」。これって、謝罪と感謝の違いというより、「自分を見ているのか、相手を見ているのか」の違いなんですよね。

「すみません」の前提にあるのは、「こんな私なんぞのために」という卑下であって、自分だけを見て、勝手に恐縮して、勝手に謝ってる。その、自分のことで精いっぱいな態度が、小物感に通じているのでしょう。

「ありがとうの人」でありたいなあ、と思います。