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新語の発明とこれから数週間。

「牛鳴」ということばを思いついた。「ぎゅうめい」と読む。

おもわず口をついて出ようとする「もう、○○だ」のことば、具体的には「もう無理だ」とか「もう嫌だ」とか「もう限界だ」とかのネガティブ・ワード、それら「もー、もー、もー」な魂の叫び全般を、いかにも間の抜けた「牛鳴」のひと言で片づける。いわば、こころのライフハックである。


ぼくはいま、まさに牛鳴の真っ只中にいる。こころの四方八方から牛鳴が聞こえる。あれも、これも、そういえばあっちのあれも、ぜんぶが途上の途中の道半ばのまま、ガンガンにあたらしい課題が降りかかってくる。

という愚痴めいた泣き言を避けるために牛鳴の語を発明したのだけど、その意味を説明しようとするとけっきょく泣き言になってしまうのは日本語の不思議である。たぶんこれから数週間、お仕事まわりの皆々さまはもちろんのこと、犬や家族にも迷惑をかけるだろうなあ。


どこかでしっかり休みをとらなきゃ、と思い続けているのだけど、お声掛けいただく話のぜんぶがおもしろく、断ったりしたらおおいに後悔するだろうことばかりなので、牛さんには適当に鳴いてもらって走りぬけるしかない。

そういえば、ドイツのシャルケに在籍する内田篤人選手は「Uchida」の読みがドイツでは「ウシダ」になるらしく、チームメイトやサポーターたちから「ウシー」と呼ばれているそうです。

牛鳴を漏らしたくなったこともあるだろうなあ。