雑誌とウェブとタイムライン。

むかしはこんなこと、思ったこともなかったぞ。

たとえばきょう、これからぼくが書く note はたぶん、5分とかからず読める文量だと思う。流し読みをすれば1分で終わるだろうし、内容もそれほど難解ではないというか、かるい話を書く。時間をとらせることも、ことさらあたまを使わせることもない。誰かの気分を害するような話も、書かない。

しかしながらおそらく、なにかの拍子でこれを読み、「けっ!」とブラウザやリンクウィンドウを閉じる方も、かならずいる。「くそったれ、読んで損したぜ」とばかりにイライラのポイントを重ねる方も、きっといる。

じつをいうとぼくがそのひとりで、ウェブ上に公開されているなんらかの記事やブログを読み、そこにとられた1分や2分がものすごい損失であったかのように「けっ!」とブラウザを閉じることが、けっこう多いのだ。


で、こういういかにもケチな了見、むかしは持ってなかったなあ、と思うのである。「むかし」というのは、ぼくが若かったころというよりも、「紙の新聞や雑誌を読んでいたころ」の話だ。

たとえば紙の雑誌を読んでいるとき、興味のない記事やおもしろくない記事に突きあたっても、いちいち「けっ!」とは思わない。なにも考えず、ぱらぱらとページをめくり、おもしろそうな記事を探すだけだ。

一方、ウェブの場合は「おもしろいのかな?」や「どういうこと?」とタイトル文字をクリックすると、パソコンやスマホの画面全体が当該記事に占拠される仕組みになっている。ワンノブゼムの記事でもなく、ぱらぱらの中途でもなく、画面全体が「それ」になる。

よって、それがつまらなかった場合の「損した感」がはなはだしい。いちいち毎回「あー、損した」と、具体的に失ったものなど皆無に等しいのに、よくわからない苛立ちを募らせてしまう。テキストを読む行為が、どうしても苛立ちをともなうものになってしまっている。

という無意識の苛立ちを救ってくれたのが、SNSにおける「タイムライン」だったのだろう。誰かひとりのことばで画面が占拠されるのではなく、自分が好きな、大勢の人たちのことばが川のように流れる画面。これなら余計な「けっ!」を感じずにすむ。雑誌をぱらぱらめくるように、読み流していくことができる。

でも、そんなSNSもちょっと過渡期に差しかかっていて、ああ……。


まあ、ここから「紙の時代はよかったなあ」と後ろを向いてもしょうがないわけで、SNS以外の場所に掲載する自分の文章について、「これは誰かのパソコン画面やスマホ画面を数分間占拠しているのだ」という意識を持つのは大事なことだよなあ、と思ったのだ。

そして、糸井さんが『今日のダーリン』の結びに毎日書かれている「今日も、『ほぼ日』に来てくれてありがとうございます」の一文に、あらためてなるほどなあ、と思ったのだ。

椅子の上にも3円。
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古賀史健

ライター。バトンズ代表。著書「嫌われる勇気」「古賀史健がまとめた糸井重里のこと。」「20歳の自分に受けさせたい文章講義」など。週日更新しています。http://www.batons.jp

古賀史健(2018)

古賀史健の note、2018年分です。
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