忘れちゃっても、いいこと。

きのう、なんだかとてもいい夢を見た。

眠っているあいだ、ぼくは「ひゃあ」と驚き、よろこび、小躍りした。目が覚めて、あれは夢だったのか、と思ったことはおぼえているけど、どんな夢だったのかはもう忘れた。たぶん、自分の本が誰かにほめられたとか、あの人があんなところで引用してくれたとか、そんな感じの夢だったんだと思う。中身をおぼえていないのは残念だけど「いい夢を見た」という、その感じはしっかり残っている。

10年くらい前、ビジネス書の世界に「脳ブーム」みたいな風が吹き荒れた。ぼくも何人もの脳科学者に取材し、たくさんの本をつくった。そのときの記憶を引っぱり出しながらいうと、夢とは記憶の整理と定着に関わるものであるらしい。そして夢が荒唐無稽なストーリーに転がりがちなのは、われわれが物事を長期記憶として定着させる際、ある種の「タグ付け」をおこなっているからなのだという。

たとえば、Sという「これから定着させようとしている記憶」があるとする。このとき、SをそのままSとして記憶の引き出しにしまうのは、いささか効率が悪い。いざというとき、うまく引っぱり出せない可能性がある。そこで問題になるのが、「Sの情報を、どの引き出しにしまうか?」である。その引き出しにどんな色のラベルを貼り、どの列の、どの段にしまうのか。関連する引き出し、同じ色にしておくと便利かもしれない引き出し、もしかしたら似ているかもしれない引き出しなどを、たくさん開け閉めする。きょうの記憶と過去の記憶をくっつけたり引っぺがしたりする。そんなプロセスを視覚化させ、体感化させたものが、いわゆる「夢」なんだそうだ。

ぼくの記憶もあやふやだし、もう10年も前の「最新情報」なのできっと間違っている部分も多いだろうけど、当時のぼくはそんなふうに理解した。


さてさて。きのうどんな夢を見たのか、中身はさっぱりおぼえてないけど、なんだかいい夢だった、という冒頭の話。それはたぶん、きのう「いいこと」があったという証拠なのだ。あるいは「いいこと」と関連づけて記憶したいなにかがあったという証拠なのだ。

夢の内容なんて忘れてしまってもいい。きのうという1日のなかに、なんらかの「いいこと成分」があり、ぼくの脳はそれを「いいこと」と関連づけて記憶しようとした。それで十分なのである。

鬼にカネボウ。
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古賀史健

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