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シーズンオフもいいかもね。

ライターにとっての「はたらく時間」について。

20代から30代にかけての数年間、もしかしたら10年以上、ぼくには「食事と睡眠とお風呂・トイレ以外、ほとんどぜんぶ原稿を書いていた」という時期があった。あれがあってよかったとは思わないし、若いひとに押しつけようとも思わない。失ったもののほうが多いような気もする。でも「そうなってしまうひと」がいるのはよく理解できるし、そもそもフリーランスとして自分で勝手にやっていただけだ。たぶんあのころは、「これだけやったんだ」という自己満足を、時間というモノサシで測っていたのだろう。それくらいしか測れるモノサシを持ちえていなかったのだろう。

もちろんいまも、「生理現象以外はぜんぶ原稿」のモードに入ることはある。本を1冊書こうと思えば、避けては通れないモードだ。ただしそれを常態化させることはせず、ひとつの合宿のような、プロ野球でいう春季キャンプのようなものだと考えることにしている。

そしてプロスポーツをヒントに考えるなら、当然シーズンオフも必要だ。

ということでいま、ぼくがバトンズという会社のなかで真剣に考えているのは、みんなに毎年1か月のシーズンオフを設けることである。


うぇーいと遊びほうけてもらってもいいし、読書や映画ざんまいの日々を送ってもらってもいい。習いごとに精を出してもいいだろうし、個人的な書きものに費やしてもおもしろいし、この会社に飽きてたら転職活動してもらうのもありだろう。とにかく「会社員」であることを忘れて、けれども「ライター」として、あるいは「ひとりの個人」として、なにかしらの活動に励んでもらう。まるまる1か月、連続で仕事から離れてもらう。


ぼく自身、ある時期から「資料以外の本」を読む機会があからさまに減ってしまい、かなりもったいない30代を過ごしてしまったという反省がある。その一方で、10代のころにあほみたいに映画を観て、音楽を聴いて、20代のころにあほみたいに本を読んで、その貯金でいまだ食いつないでいる自覚もある。「若いうちは数をこなせ」のアドバイスは、仕事よりもむしろ「仕事の外」に効くのではないか。

そんなことを考えながらのシーズンオフ制度。

近々ためしてもらおうかと思っています。