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電話線を抜かれる前に。

なんならいっそ、電話線を引っこ抜いてやろうか。

そんな気持ちになってしまうほど頻繁に、営業電話がかかってくる。会社に、人が意識を集中させて原稿に取り組んでいるところに、一方的に、強引に、暴力的とさえいえる不躾さで、勝手におのれが商品を売りつけてくる。電話だけではない。ここがセキュリティゆるゆるな雑居ビルにオフィスを構える身の悲しさなのだけど、いきなりピンポンと訪ねてきて、宅配便かと思いきや、扉を開けた途端にセールストークをはじめる人だって少なくない。いわゆるところの飛び込み営業である。

営業電話であれ、飛び込み営業であれ、それが著しく不快で不毛に感じられるのは、彼ら・彼女らが「おのれの話」しかしないところにある。こっちの事情だとか感情だとか要望だとかをいっさい無視するかたちで、延々とおのれの商売の話をする。しかも場合によっては「うちのこれを導入することによって、おたくの電話代はこれだけ安くなるのだ。これを入れないおたくは莫迦だ」くらいの勢いで、おのれの都合を語り続ける。聞く耳を持たないまま、おのれのロジックで押し切ろうとする。


さて、ぼくはここで飛び込み営業を糾弾したいわけではない。

じつはぼくらも知らないところで、飛び込み営業的なトークを展開しているのではないか、と思うのだ。たとえばビジネス書を読んでいてそう感じることもあるし、報道系サイトやSNS、かしこい人の講演会なんかでも、それは散見される。つまり、自分の答えが決まりきっていて、他者の話に聞く耳をまるで持とうとしない、一方的で、どこか恫喝の匂いさえ感じさせる主張だ。昨日・今日の話をするなら、政治の世界で語られることばの多くも、そこに当てはまるのかもしれない。

なんだろうなあ。

いちおうは出版の世界に身を置く人間として、そういうことばに無自覚なまま本をつくり続けていたら、やがて「いっそのこと、電話線を引っこ抜いてしまえ!」な状況になっちゃうような気がするんですよね。