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迷う、ということ。

早ければこれ、夏には出せるんじゃないか。

そんなふうに考えていた次の本(ライターの教科書)、実際に書きはじめてみると当たり前のように厄介な代物で、いまのペースだとふつうに6か月はかかるなあ、と先ほど気づいた。やろうとしていることのおおきさから考えると、遅いとばかりも言いきれない、実際それくらいかかるだろうよ、というペースである。

これまでに何冊か、執筆に1年以上かかった本がある。連載小説のように、2年間の連載を経て待望の書籍化、みたいな話ではなく、書きおろしのかたちで1年以上かかってしまった本だ。個別の書名を挙げることはしないけれど、それらの本はだいたいうまくいかなかった。「構想10年、執筆5年」みたいな話は壮大でロマンチックに響くものだけれど、要はそれだけ長いこと迷いつづけ、暗礁に乗り上げていたということだ。そこにかけた長い時間が功を奏することもなくはないが、多くの場合は煮すぎた鍋のように具材が原形を留めなくなる。

迷うとは、どういうことか。

それは決断の留保だ。ぼんやりながらもA、B、Cの選択肢があったとき、どれを選ぶか「決めあぐねている」状態のことを、迷いという。決めあぐねる理由は、可能性の留保だ。BやCの可能性を残しておきたいからAを選べず、ぐずぐずしてしまう。

ほかの人は知らないので自分にかぎった話をすると、執筆に1年以上の時間をかけてつくった本には、かならずたくさんの「迷い」が混入し、スパッと選べていないもごもご感が残っている。


おそろしいことにあの人の「迷わず行けよ、行けばわかるさ」は、けっこうな真理なのである。