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厄年ってほんとにあるんですか?

気がついたら、厄年が終わっていた。前厄、本厄、後厄、いつの間にかすべてが終わっていた。

まだ客観的に総括できるほど距離を置いて考えることはできないけれど、もしもお若いひとに「厄年って、ほんとにあるんですか?」と訊かれたら、ぼくはゼンジー北京の口調で答えるだろう。

「ないようで、あるよ」と。

前厄から本厄にかけてのあいだ、ちょっとしたバーンアウトに見舞われ、もうライターを辞めたほうがいいのかもしれないと思った時期もある。書くことは大好きだけど、気の乗らない請け仕事をこれから何十年もこなしていくのは、もう無理だと思ったのだ。さらには、お気楽なフリーランスという働き方についても、なんらおもしろみを感じられなくなってしまった。

けっこう大きな問題だったし、そのへんの迷いや葛藤で、いろんな人にご迷惑をおかけしたんじゃないかと思う。最終的には会社をつくることで解決したのだけど、この選択が間違ってなかったことを証明していくのは、今後の大きな課題だろう。


で、なにが書きたかったかというと、厄年のさなかにあるときって、ある意味ラクでもあるんですよ。「ここを抜ければ青空が広がってる!」みたいに言い聞かせることもできるんで。耐えろ、こらえろ、我慢しろ、の時期はやることもはっきりしてるから、ラクといえばラク。

問題は「さあ耐える時期は終わりましたよ、存分にご活躍ください」と野放しにされた、この厄年明けのいまなんですよね。なんの言い訳もできない、黙ってやる以外にない、この「いま」。

はい。黙ってお仕事に戻ります。