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「便利」よりもほしいもの

年末に、お仕事で調べものをしていたときのこと。

小学校の社会科で習うような話として、家電の「三種の神器」ってあるじゃないですか。3Cよりも前に普及した、白黒テレビと洗濯機と冷蔵庫。これ、ただ「そういう時代がありました」ってだけじゃおもしろくないから、普及していった順番を調べてみたんですね。いや、なんかナイツの漫才みたいな前振りになっていますけど。

すると、統計の取り方にもよるのですが、とりあえず「世帯普及率30パーセント」を基準に考えると、みんな最初に手に入れたのは洗濯機なんですって。そして直後くらいに白黒テレビを買い、しばらくしてから冷蔵庫を買う。

この、洗濯機、テレビ、冷蔵庫という順番、すごくおもしろいと思うんです。だって、いま上京したての若造がひとり暮らしをするとしたら、ぜんぜん違う順番になりますよ。たぶん、冷蔵庫、洗濯機、テレビ、の順番になる。洗濯はコインランドリーがあるし、テレビがなくても生きていける。でも、冷蔵庫はぜったいに必要だ、という判断で。

それで、いろいろ別のことばを代入しながら考えました。

洗濯機に代入されることばは「労働からの解放」です。テレビは「娯楽」です。そして冷蔵庫は「便利」といったあたりでしょう。

当時の人々は、まず「労働からの解放」を求め、「娯楽」に飛びつき、しばらくしてから「便利」を手に入れた。「便利」は意外と、ないがしろにされていた。なぜか?

もしかしたら、冷蔵庫がないことによる「不便」が、「コミュニケーション」につながっていたからじゃないのかなあ。毎日そのつど、魚屋さんや八百屋さんで買いものをすること、そこでご近所さんと語らうこと、歩いて、しゃべって、ゲラゲラ笑うこと。それは、解消したい「不便」ではなく、大事にしたい「コミュニケーション」だったのかもしれない。

うーん。なんか最近、ネットまわりで「便利」なサービスばかりが誕生してるけど、ぼくらがほんとうにほしいのは「コミュニケーション」であり、「労働からの解放」であり、「娯楽」なんだろうと思います。

考え途中の、まとまらない文章になりました。