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あのころぼくらは若かった。

あたらしい元号が発表された。

「へえ!」とおどろき、「いいじゃん」と唸った。策定にいたる準備期間の違いもあるのかもしれないけれど、平成にあった安パイな雰囲気がどこにもなく、ソリッドな、攻めの姿勢を感じさせる二文字であり、音だ。万葉集を出典としているところも、とてもよいと思う。知識人・教養人のたしなみとして漢籍を出典とする時代では、さすがにもうないだろう。

という元号ネタに関連して、週末にひとつ思いついたことがある。

先日、元横綱双羽黒の北尾光司さんが亡くなられた。不器用を絵に描いたような人生を歩まれた北尾さんだったけれど、大相撲時代には将来を嘱望される「花のサンパチ組」の筆頭格とされ、とくに北尾、保志(のちの北勝海、現・八角理事長)、小錦の三人は「花のサンパチトリオ」と呼ばれていた。

サンパチとは、彼らがみな昭和38年生まれだったからで、少なくとも当時、彼らのことをロクサン(西暦1963年)組と呼ぶ人は誰もおらず、その必要性もまったくなかった。昭和という元号は、西暦よりもずっと身近なものだったわけだ。

一方、平成になってからの日本は、ちょっと違う。たとえば宇多田ヒカルさんや椎名林檎さん、浜崎あゆみさん、aikoさん、MISIAさんらをデビュー年から「98年組」と呼ぶなど、西暦によるカウントが根づいている。彼女らを「イチゼロ組」(平成10年デビュー)と呼ぶ人は、まずいない。松坂大輔投手を「平成の怪物」と呼んだのも、昭和の時代に「怪物」と呼ばれた江川卓さんとの比較でそうなっただけで、「平成の怪物」に込められたニュアンスは「新・怪物」に近い。

この変化をグローバル化の波がどうしたこうしたで片づけるのは、あまりにつまらない態度だろう。それではなぜ、「サンパチ組」は成立して、「イチゼロ組」は成立しないのか。


■ 単純に、昭和は長かった。
身も蓋もない話だけれど、やっぱり昭和は長かったのだ。サンパチ組が活躍したのは昭和50年代後半から昭和60年代。もしも平成があと30年続いて、日本が平成生まれだらけになったら、平成の「サンパチ組」も生まれ得たのかもしれない。それくらい平成の語が、定着したのかもしれない。おじさんだからおじさんみたいなことを言うけれど、どこか「平成」は若々しいままに終わろうとしている印象がある。


■ あのころ日本は若かった。
もうひとつあるとすれば、昭和50年代くらいまでの日本は、国全体が若かったのだと思う。そりゃ当時は存命だったぼくのおばあちゃんは明治生まれだったし、明治・大正生まれの人は普通にいたのだけれども、まわりはみんな昭和生まればかりで、つまりは50代以下の人たちばかりで、誰もが同じ昭和に生まれ、同じ昭和に生きていた。「明治の人」というフレーズには頑固者の代名詞みたいな感があった。平成がうまく馴染めなかった背景には、時代そのものの短さと同時に、日本全体の高齢化もあると思う。だって、いま「元号なんて面倒くさい、おぼえられない、ナンセンスだよ」って言ってる人、若者の声を代弁している風を装いながら、なんだかんだで昭和生まれのおじさんばかりじゃない?


あと、もうひとつ今回の発表を受けて思ったのは、「この元号を考えた人たち、たのしかっただろうなー!」ということ。こんなに日本中をびっくりさせて、ここまで日本中におおきな影響をもたらす「ひみつ会議」をしてたんだもん。ぼくがそのメンバーなら、今夜は最高級のシャンパンをあけるね。