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なにも決めないまま書いてみる

なんの話を書くのか決めないまま、とりあえず指を動かしてみる。

いまぼくのオフィスの机には大きなディスプレイが置かれ、そこには5センチ角の黄色い付箋が5枚、同じ大きさの青い付箋が2枚、もう少し大きなクリーム色の付箋が3枚貼られている。付箋にはそれぞれ、思いついたフレーズが書いてあったり、スケジュールが書いてあったり、事務的な備忘のメモが書いてあったりする。

付箋がアクシデントの産物だというのは有名な話だ。なにかのミスで粘着力の弱い接着剤ができてしまい、その使い道を検討した結果、ポストイットなる商品が生まれた。何度となく、どこかで聞いた話である。

ここから人は、「失敗は成功の母だ」と語りはじめる。なにが成功につながるかわからない、だからどんどん失敗しなさい、失敗を恐れていたらなにもできないんだよ、と。

これは正しいようでいて、少し語弊のあるアドバイスだ。失敗しようと思って行動し、結果首尾よく失敗することは、ある意味「成功」なのである。ほんとうの失敗を経験するためには、「失敗なんか、するものか」の思いがなければならないし、それでもなお思惑が外れたとき、ようやくほんとうの「失敗」を経験することができる。「負けてもいいや」の試合には、誰も本気になれないのだ。

だからぼくは、若い人に「もっと失敗しなさい」のアドバイスを送る気持ちにはなれないし、自分にも「負けてもいいや」の試合は設定したくない。

「3割バッターだって7割は失敗してるんだ」という話は、7割の打席で手を抜いていたわけではなく、すべての打席で打とうとした結果、ようやく3割がヒットになるのだ。


……と、なんにも考えずに書いてみても、意外と話は転がるものですね。「まずは書こう」が本日の結論かもしれません。