「書かなきゃだめだ」の、その理由。

週日更新という建前上、5日ぶりの更新だ。

今年のゴールデンウィークはいろんなことがあった。いや、実際にぼく個人がやったことといえば、犬と一緒に毎日ドッグランや公園や河川敷なんかに通っていたのと、あとは Netflix で海外ドラマを垂れ流していたのと、せいぜいそんなものなんだけれど、世のなか的にはたくさんのことがあった。イチロー選手(いまでも「選手」と呼べることをうれしく思う)のことなんて超ビッグニュースだったし、世界卓球もすんげえおもしろかった。おもしろい本も読み、なぜだか深夜の BS で観たモーニング娘。20周年記念番組に、いたく感銘を受けたりもした。ぜんぜん知らなかったけれど、いい曲が多いんだなあ、とか。


で、いちばん思ったのは「やっぱり書かなきゃだめだ」である。

たとえばイチロー選手の特別補佐就任について、その一報を受けて思ったことや考えたこと、思い出したことなどを書けと言われれば、いまここに書くことはできる。事がイチロー選手だけに時間はかかるかもしれないけれど、そのぶん充実した話になりそうな気もする。自分の学生時代の、甘酸っぱい思い出話なども交えながら、「ぼくにしか書けないこと」を書くだろうな、とは思う。

でも、そこで書かれるあれこれの話は、あのニュースが流れた5月4日の「!!!」とは、ずいぶんかけ離れた思いなのだ。あの日の「!!!」はあの日に書いておかないと、中途半端な編集のほどこされたむにゃむにゃになる。駆けめぐったはずの衝撃は、技巧としての感嘆符になってしまうのだ。


もちろん毎日書くのを義務にしたら、それはつらい。くじけたり、ストレスから不機嫌になったりする自分が、いまから目に見えている。

けれど、「休日は書かない」というルールを義務化するのも、それはそれでよくないなあ、と思う。


それは、ぼくという人間が「書くのが好きで好きでたまらない」からではなく、「書かないと考えをまとめられない」からであるし、もっといえば「書かないと考えない」からでもあるし、結果「書かないと忘れてしまう」からなのだ。


うん。こうやって書いてておもしろいのは、明日の自分がなにを書くのか、さっぱり予想がつかないことなんですよね。それは明日の自分がなにを感じ、なにを思い、なにを考えるか、ひとつもわからないからなんです。実際に書かないことには。

馬の耳に壇蜜。
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古賀史健

古賀史健(2018)

古賀史健の note、2018年分です。
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