高校生の自分とじっくり話し合いたいこと。

中学生までの自分は、もうちょっとまじめだったような気がする。

高校受験に向けた、いわゆる受験勉強もやっていたおぼえがある。それどころか、中間・期末テストでさえ、いちおうは勉強して臨んでいた気がする。なのに高校に入ってからは、まるで勉強をしなくなった。中間・期末のテスト勉強もしたおぼえがないし、大学受験にあたっても、トータルで1時間も勉強していないと思う。

それでどうにかなってきたのだから問題ないといえば問題ないのだけれど、テスト勉強してこなかった自分を悔やんでもいなかったのだけれど、最近になって「もしや、あのときの怠惰が影響しているのでは」と思う機会が増えてきた。


ぼくは「マルチタスク」が苦手なのだ。

複数の仕事を同時にこなすこと、もっといえば複数の仕事を抱えた状況に置かれることが、ひどく苦手なのだ。どんなにがんばっても一球入魂、ひとつびとつの仕事をひとつびとつ終わらせる、直列式の作業しかできない。それゆえマルチタスクが得意なひとを見ると、こいつらほんとはなにひとつ手を動かしてないんじゃないのか、口先だけで仕事してるんじゃないのか、指示するだけで仕事を終えてるんじゃないのか、なんて嫉妬や怨嗟の入り混じった疑念すら抱いてしまう。複数の作業を同時にこなすなんて、どう考えても不可能だろ、と。

しかし、である。

よくよく考えてみると、来たるべき中間テストに向けて国語・数学・理科・社会・英語などの各科目を勉強する行為は、まさしくマルチタスクだ。試験の日程に合わせ、自分の得手不得手を勘案し、たくみに時間配分しながらそれぞれの科目で最善の結果をめざす。これはマルチタスクの実践そのものではないか。

考えてみるとマルチタスクに優れたひとは一様に、中高生時代優等生だったのではないかと思わせるところがある。逆にいうと、ギャンブル的にヤマを張ったり、早々に捨て科目をつくったり、極度な文系/理系を志向しているひとたち、受験勉強の時間割が初日からぐずぐずになってしまうひとたち、つまり若き日のぼくみたいなバカボンはみな、シングルタスク人間になってしまうのではないだろうか。各科目でまんべんなく好成績をとってきた優等生たちは、そのマルチタスク適性において立身出世を果たしていくのではないか。……と、そんなふうに思うのである。

まあ、タイムマシンがあったとして、高校生の自分にマルチタスクの重要性を説いたところで聞く耳など持つはずがないのだけれども、それでもここまで見事にシングルタスク人間になってしまうと、あのころの自分を叱咤激励してあげたくもなる。


なんとなく周囲のみなさま方が年末進行モードに突入してきて、その余波は当然社会の末端に生きるぼくのもとにも押し寄せて、マルチタスクできない自分をいま、30年前までさかのぼって恨んでいるのです。

出る釘は浮かれる。
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古賀史健

古賀史健(2018)

古賀史健の note、2018年分です。
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