写真を撮ること、おしゃべりすること。

また犬の話をします。たぶん犬じゃないところに行きつく話です。

愛息ぺだる(ひらがな表記です、念のため)がわが家にやってきてから半年あまり。いまだから言えますが、家族になって3か月ほど過ぎたころから、自分のなかで危惧していたことがありました。


撮影する写真の枚数が、あきらかに減っていったんですね。

家にやってきてからしばらくは、まるでアイドル撮影会のように毎日パシャパシャ写真を撮って、ぺだる用に2台もデジカメ買って。それはもう、こんなに溺愛していいのだろうか、いいに決まってる、というくらいに撮っては眺めをしていました。

ところが3か月や4か月が過ぎるころから、ぺだるを撮影する機会がずいぶん減ります。ぜんぜん撮らない日だってザラにありますし、それが数日続くことも珍しくありません。そんなつもりはまったくないのだけど、もしかしたら愛情が減じているのかなあ。あのころみたいに溺愛してないのかなあ。こころの水面に、へんな罪悪感の墨汁がしたたり落ちていました。


でも、最近気づいたんですよ。写真を撮らなくなったぶんぼくは、しゃべるようになったんですね。「おさんぽ」だとか「くんれん」だとか、そういうコミュニケーションの時間が増えていった。「撮る」とか「撫でる」以外に愛情表現の手段を持ちえなかった時期を過ぎて、「おしゃべり」の時間がぐんと増えたんです。もちろん犬はことばを発しませんから、おさんぽやくんれんが「おしゃべり」になるわけですが。


ことばを使った人間同士の関係でも、たぶん同じ。

ちょっと距離をおいて写真を撮り合っているような時期と、くだらないおしゃべりが増えていく時期と、それぞれ段階がありますよね。なんなら、ことばさえも交わさずに「ここにいること」自体が、メッセージとなっている段階も。

新入生とか新社会人とかのみなさんは、いまドキドキしながらお互いの写真を撮り合っている時期なんだろうな。もう長いことそういう場に身を置いてないんで、なんだかちょっとうらやましいくらいですよ。そのおろしたてのパンツみたいな肌触り。

壁に耳ありジョージとメアリー。
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古賀史健

creative notes #1

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