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わたしは梅干しになりたい

ここにお茶碗一杯のごはんがあったとする。

透きとおった湯気が立ちのぼる、炊きたてつやつやのごはんだ。残念ながら、おかずは見当たらない。まいったなあ、これでたまごかけごはんとかつくったら最高にうまいんだけどなあ。と思っているところに、ぼよよん。お米に宿るという七人の神さまが現れ、こう言う。

「ほっほっほ。ういやつよのう、このいやしんぼうめ。ここに梅干しと漬物、それからふりかけがある。好きなものを選ぶがよい」


……と、まあこんな無茶な設定を考える必要はないのですが、目の前に梅干しと漬物とふりかけがあったとき、なんだかんだと言いながら、ぼくは梅干しを選ぶんじゃないかと思うんですね。

というのも、漬物やふりかけって、要するに「おかずの代用品」なんですよ。漬物は、ぬか漬けや奈良漬けみたいな濃い味よりも、サラダ感覚で食べられる浅漬けが好まれるようになっているし、ふりかけにいたっては「すきやき味のふりかけ」なんていう、もの悲しい商品が売られているわけです。

これに対して梅干しは、一度として「おかず」をめざしたことがなく、なにかの代用品であろうとしたこともない、孤高の存在です。

思い出してください、あの強烈すぎる酸味を。その裏にどっかり腰を下ろす、重厚なる塩分を。「おれのことを好きにならなくてもいい。おれはただのよだれ係だ。おれの酸味に顔をしかめ、存分に唾液を分泌させるがいい。そうすれば、ごはんはもっとおいしく食べられる」という凄腕ベーシストのようなダンディズムを。そしてパンやらピザやらパスタやらに浮気しようのない、ごはん以外とは組み合わせようのない一途な潔さを。


えーと。以上、梅干しのおにぎりを食べながら思いついた「ライターの仕事は梅干しに似てるなー」の気持ちを、なんとか言葉にしてみました。

あと、「すきやき味のふりかけみたいな仕事はしたくないなー」の思いも。