取材よりも、したいこと。

これを主客転倒というのだろうか。

この数年、取材をする側の立場であったはずの自分が、誰かから取材を受ける機会が増えてきた。自己を顕示する欲のうすいぼくとしては、「ほんとにおれでいいのかなあ」や、「おもしろい人間じゃなくてごめんなさいね」の思いが消えないままにお引き受けする「お仕事」だ。

で、何度も受けてみてわかったのだけど、取材の場でぼくは、まったく自由におしゃべりすることができない。相手の質問に「あ、こういう意図でこういう答えを期待して訊いてくれてるんだな」と察し、なるべくその期待に応えようとする。原稿にするとき、まとめやすいように情報を散りばめつつ、ときおり見出しにつかえるような強く短いことばを交えつつ、おしゃべりする。

そんなふうにいうと、すごく丁寧でありがたいインタビュイーのように聞こえるかもしれないけど、ぜんぜん違う。要するにこれ、「原稿の素材」を一方的にしゃべっているだけで、ちっとも「会話」になっていないのだ。おかげで、ダイアローグとしてのおもしろみは皆無に等しい。テキスト用の取材ならまだしも、テレビやラジオの収録にはほとほと向いていない人間だと、われながらびっくりする。


さてさて。友だちにはよく言ってることだけど、正直なところ、ぼくはインタビュアーとしても、そんなに優秀な人間ではない。丁々発止のやりとりとか、思いもよらぬカウンターパンチ、鋭い切り返しとか、ぜんぜんできない。同行しながら、ぼくの取材に「これで大丈夫なのか?」「これで書けるのか?」と不安をおぼえる編集者さんも多いんじゃないかと思う。

たぶんぼくは、取材相手のことを「好き」になりやすい。ファンになるというよりも、好きになる。そして好きになった相手とは「質問と返答」のやりとりではない、もっと普通の「会話」がしたいのだ、きっと。原稿の材料を集めるために取材するのではなく、ただただ「本日のテーマ」に関しての、会話がしたいのだ。

優秀な取材者である前に、気持ちのいい会話者、でありたい。

武士は食わねど高橋ジョージ。
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古賀史健

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