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きのう読んだ、ガンジーのことば。

きのう読んだ本に、こんなことばがあった。

「ある国の偉大さと道徳的発展は、その国における動物の扱いかたを見ればわかる」。マハトマ・ガンジーのことばなのだそうだ。ほんとうにガンジーその人がこう言ったのかどうか、確証はない。調べてもいないし、調べることはむずかしいだろう。ひとつ確実にいえるのは、「ガンジーのことば」として、これが残されているという事実だ。

ここでの「動物」とは、事実でもあり、メタファーでもあるのだろう。

動物は、「弱きもの」のメタファーであり、「自分とは異なるもの」のメタファーでもあり、「声なきもの」のメタファーでもある。

もしも動物たちを愛し、動物たちにやさしくできるのなら、動物たち固有の生のありかたを尊重できるのなら、その国の人びとはあらゆる「弱きもの」に寛容であるはずだ。「弱きもの」たちの価値と生きかたを尊重し、守ることができる、偉大な人びとであるはずだ。そんなことばとして、ぼくは受けとった。


ときおり、戦地の兵士たちが犬をかわいがっている写真を見ることがある。どこの国の、どんな兵士であろうとぼくは、無条件に泣きたくなってくる。ここには人間がいるんだなあ、と思うし、同じくらいつよく、ここには犬がいるんだなあ、と思う。人間と犬が笑顔で戯れる写真に、その時間がずっと続けばいいのにね、と思う。それがお互いの、いちばんの望みだよね、と。

動物たちとゆっくり戯れる時間がとれている人は、それだけでもう豊かだ。お金の話じゃなく、そこに流れるおだやかな時間や、交わされる親愛や、やわらかな手触りや体温や、なにからなにまで豊かだ。

「ある国の偉大さと道徳的発展は、その国における動物の扱いかたを見ればわかる」。

そう考えるとこれは、お説教めいた高潔さを問うたことばではなく、こころの豊かさを語ったことばなのかもしれない。