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選挙が近づいてるからってわけでもないんですけどね。

はい、もうタイトルどおりのお話で、選挙が近づいてるからってわけでもないんですけども。

ほら、よく言うじゃないですか。「このままじゃ戦前の日本に逆戻りしてしまう」とか、そういう物騒なこと。「ナントカ法案の可決成立は、まさに軍国主義への回帰だ」みたいな、やたら恐ろしげなこと。

このへんの話、危機をあおりたがるひとたちの文脈とは別に、時代全体の流れとして、たしかにそういうところはあるのかもなあ、と思うんです。もしかしたら戦前の日本がワーッと一方通行な道を進んでいったのも、こんな感じだったのかなあ、と。

要はね、面倒くさいんですよ。

政治やこの国の将来について考えることが面倒くさいんじゃなくって、自分の考えを表明すること、旗の色を鮮明にすることが、とてつもなく面倒くさい。

たとえば、なんだろうなあ。仮に憲法改正ってテーマについて、賛成とか反対とかの意見を表明したとしますよね。とくに、SNSとかの場で、それに関する自分の立場を明らかにしたとしますよね。

するともう、対立する立場のひとたちから、総攻撃が待ってるわけです。けしからん、おまえは○○を知らないのか、莫迦か河馬か、そんな抜け作とは思わなかった、見損なったぞ、○○を読んで勉強しろ、この阿保野郎。なんなら、「さらし」という名の密告制度のもと、公開リンチですよ。

面倒くさいじゃないですか。こころが磨り減るじゃないですか。


そういう総攻撃に耐えうる頑丈なハートを持とうとするなら、いちばん簡単な手段は「盲信」ですよね。誰になんと言われようと、自分の意見を曲げない。それどころか、反対意見を述べるひとを愚か者と見なして、より自分の信念を固める。これはもう、「盲信」と紙一重のところにある態度ですよ。

で、なにかを盲信するひと同士がバチバチやりあって、そこに至らないひとたちは、ひたすら黙り込む。面倒くささからそこに距離を置き、大勢を見極めつつ、なるべく面倒くさいことにならないよう、勝ち馬に乗る。

よく「日本人は流されやすい」って言うけど、正しくは「おおきな流れに乗っかりやすい」んじゃないのかな。わけもわからず流されてるんじゃなく、面倒な攻撃にさらされないよう、流れに乗っかる習性があるんじゃないのかな。そしてその根底には、感情的な密告とリンチによって成り立つ風土があるんじゃないのかな。戦前の日本は、そういう空気のなかで、ワーッとひとつの方向に流れていったんじゃないのかな。


もしもそうした密告とリンチから切り離された、誰の目にも触れることなく自分の意見を表明できる場が「選挙」であるとするならば。

そりゃあ、一票を投じないわけにはいかないですよね。