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歌でつながる仲間たち

さいきんの、たとえば2000年以降くらいにできた若い会社で、「社歌」をもっている会社はどれくらいあるのだろうか。

どんなに多く見積もっても1000分の1、とかじゃないかなあ。

社旗に通じるようなロゴマークは、みんなつくる。社章をつくる会社だってあるかもしれない。社訓というのもあるだろう。でも、社歌ってのは、なかなかないんじゃないか。

ぼくがむかーし勤めていた全国チェーンのメガネ屋さんには、5箇条の社訓があった。そして毎朝お店の前に並び、通行人に向かって絶唱するのだった。いまとなっては5箇条のうちのひとつも覚えてないので、たぶん月並みなことばが並んでいたのだと思う。「お客さまのために、真心を持って〜」とかなんとか。

それでもさすがに社歌はなく、あったら大変だっただろうなあ、と思う。少なくともぼくは、従業員が肩を組んで高らかに社歌を歌う、みたいな光景は、モノクロを中心とした映画や記録フィルムのなかでしか見たことがない。


でも、そうなんだけれども、こんなふうにも考える。

会社のロゴマーク、また会社の掲げるビジョンやミッションは、会社の「外」に向けたブランディングだ。それに対して社訓は、会社の「内」に向けたブランディングといえる。社訓はルールではなく、目標でもなく、なんというか、見上げればそこに輝く北極星のような、観念的な道しるべみたいなものだ。

だったらもう、「歌」でいいんじゃないか。

お説教みたいな「意味」に寄った言葉を並べた社訓ではなく、メロディ以外になんの意味ももたない「嗚呼〜、われら〜バトンズゥ〜、ここに集い〜」みたいな社歌があれば、それをみんなが楽しげに歌う環境があれば、社訓よりずっといいじゃないか。歌に集う仲間たち、歌でつながる仲間たちって、最高じゃないか。

……なんか、そんなことを本日更新された宮本茂さんと糸井重里さんの対談、「ひとりではつくれないもの。」の第5回を読んで思いました。これ、実現したら痛快だなあ。