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若気の至りと言いますが。

中学のとき、幾人かの友だちがバンド活動をはじめた。どこかのライブハウスを借りるわけでもなく、文化祭で伝説をつくることだけを目的に結成されたバンドだ。ブルーハーツかBOØWY、ZIGGYあたりがメインだった。そして高校になると、けっこうな数の友人たちがバンド活動に精を出した。まだまだ洋楽が偉かった時代の高校生、なおかつ県内では都会っ子が通う高校だったので、洋楽のコピーがメインだった。やたらTレックスを演るバンドが多かったけど、演奏が簡単だったからなのだろう。

そんな彼らを横目で見ながらぼくは、きみたちもっとまじめに音楽に取り組みたまえよ、と思っていた。きみたちの音楽的ルーツはどこにあるのだ? いまきみが演ってるBOØWYならBOØWYは、誰に影響を受けてあの音にたどり着いたのだ? それをさかのぼって知ろうとすることすらもしないで、表面だけなぞったところで、なにが生まれるというのだ? ただでさえ下手くそなのに音楽的素地の上でも劣化コピーになるだけじゃないか。

しかしそんな小理屈を考える前にギターを持ち、コードを覚え、ステージに立った人間が、青春というその季節においては圧倒的な勝者なのだ。高校を卒業したころ、エアロスミスのカバーを演ってた友だちのライブを観に行って、打ち上げで「もしもおれがバンド組むなら、ぜったいオールマン演るね。ひげでも伸ばしてフィルモア・イースト再現するよ」なんてうそぶいていたぼくは、あの日いちばんかっこわるくてタチのわるい人間だった。


若気の至りって、後先を考えない行動のことだけを指すんじゃなくって、当時のぼくみたいに、頭でっかちになって後先を考えすぎるのも、若気が至りまくってるんですよね。

なつかしいけど、あの場所には戻りたくないなあ。