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カメラがぼくらに残すもの

あれはたしか、小学4年生のときのことだ。

お年玉の使い道を考えあぐねた結果、カメラを買うことにした。子どもの小遣いでも買えるような、富士フイルムの110(ワンテン)カメラ「ポケットフジカ・フラッシュAW」。カートリッジ式の110フィルムを使用するカメラである。

カメラを手に入れたぼくは、ものすごい武器を手に入れた気がした。ラジコンのような自分が楽しむ「おもちゃ」ではなく、家族のためにも役に立つもの、という点も気に入っていた。ひとつ、大人になったような気がしたのだ。

そんなある日、夢を見た。

夢のなかでぼくは、当時の中曽根康弘総理がひき逃げされる現場に遭遇した。さっとカメラを取り出し、ぼくは道路に身を投げながら、ひき逃げ犯の車を写真に収めた。現像したそれにはナンバープレートがはっきりと写っており、やがて犯人は逮捕された。カメラは、ぼくを国民的英雄にしてくれた。

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いま、iPhoneのライブラリを見ると、ごはんの写真が6割、旅先の風景写真が3割、意味不明な写真が1割、という感じで画像が並んでいる。つまらない並びだなあ、と思う。

日々を生きていると、どうしてもそれが「わざわざ撮るまでもない日常」に思えてしまう。でも、何年何十年と時間が経ったときに貴重なのは、その「わざわざ撮るまでもない日常」だったりするものだ。

日々の日記を書くように、日々の写真も撮っておきたいなあ、と思う。