やりたいことがやりたくないことに変わる理由。

やりたいことがあるとき、毎日はたのしい。

ああ、はやくやりたいな。どんなふうにやろうかな。こんなことをやったらあいつ、びっくりするだろうな。届きそうで手の届かない、ふわふわ中空に浮かんだそれを眺めているあいだが、いちばんたのしい。

なぜたのしいのかといえば、手元に「やらなきゃいけないこと」があるからだ。もっといえば手元のそれを、やりたくないからだ。面倒くさくてたまらないからだ。その逃避の先にあるものとして「やりたいこと」がたのしげに浮かんでいるのである。

しかし、その理屈で考えていくと、おそろしい事実に突きあたってしまう。いま手元でくすぶっている「やりたくないけど、やらなきゃいけないこと」だって、かつてはきらきらにまぶしく輝いた「やりたいこと」であったはずなのだ。あんなに焦がれ、求め、夢にまで出てくるほどに切望していたあの原稿が、すっかりわくわくの風船をしぼませ、煮ても焼いても食えないゴム片に成り下がって机の上を占領している。なぜだろう、なぜかしら。


自分の飽きっぽさや怠惰な性格を棚に上げていうと、おそらく「つくる」と「完成させる」は、ほとんど別の作業なのだ。そしてどうやら、ぼくを筆頭に多くの人は「つくる」が好きでありながら「完成させる」が苦手らしい。

その「完成させる」の面倒くささから逃げまわった結果、おもしろくなったはずの原稿を未完成のまま、平たくいえば雑なままにあげる人はたくさんいる。一方でぼくは粗雑な状態がなかなか許せず、うんうん苦しみながらどうにか完成までこぎ着けようとする。それは「ただ終わること」と「ほんとうに完成すること」の違いを、数は少なくとも幾度か実感しているからだと思っている。

とはいえ「完成させる」は面倒くさい。短い原稿だけど、今週中に一本完成させなきゃいけないものが、いま手元にある。それが終われば来週は「やりたいこと」に没頭できるはずだ。

椅子の上にも3円。
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古賀史健

古賀史健(2018)

古賀史健の note、2018年分です。
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