こういうスタイルならいくらでも書ける。

箇条書きの延長みたいに、いくつかの話を。

■ 幡野広志さんの「写真集」が発売された。
写真家・幡野広志さんの「写真集」という名の写真集が、きょうから一般発売となった。静かで、美しく、幸福であるはずの写真たちを眺めていると、なぜか涙がにじんでくる。この写真集については、ぜひサブテキストとして幡野さんと糸井さんの対談「被写体に出合う旅。」を読んでいただきたい。


■ 次の本にとりかかっている。
先月に脱稿した原稿はまだゲラも上がっていない段階で、本づくりはここからが佳境ともいえるのだけど、ひとまずはぼくの手を離れたところにある。いまぼくの手元にあるのは次の、まだ1文字も書いていないあたらしい本の構想だ。仮にこの本の紙幅が10万文字だとした場合、「あ」だの「か」だの最初の1文字を書いた時点で残り9万9999文字となり、書けば書くほど原稿に与えられた可能性は減じていく。最後の1文、最後の1文字、最後の句点(。)を書き終えたとき、それなりの満足感を持って保存ボタンを押す自分であることを、まだ1文字も書いていないこの段階から強く願う。


■ デスクトップの掃除をする。
ひさしぶりに、パソコンのデスクトップに並んでいるファイルを整理整頓した。去年の後半から先月にかけて、ひたすら忙しい実感だけがあった。具体的になにで忙しくしているのか振り返る余裕もなく、目の前にガンガン積まれていく仕事をガンガンこなしているだけだった。そしてきょう、ファイルを整理しながら「ああ、これも書いたなー」「そうだそうだ、こんな仕事も頼まれたんだった」「そうだよ、あのタイミングでこんな無茶振りもあったんだよ」と、いまさら膨大なお仕事を振り返った。


■ それでおもしろいと思っているのか。
次に書く本に備え、いまたくさんの参考資料を読んでいるのだけれど、これはぼくが意地の悪い読者だからなのだろうか、けっこうな割合の本についてむずむずイライラしてしまう。「それでおもしろいと思っているのか」と、思ってしまう。たぶん、思っちゃいないのだろう。「役立つこと」が書いてあれば「おもしろ」は要らないと思っているのだろう。もちろん抱腹絶倒するような類いのおもしろは要らないし、ぼくにも書けないのだけれど、読みものとしてのおもしろはちゃんと担保しておいてほしいなあ、と思う。
まあ、そういう話を次の本ではくわしく書いていくことになるはずなので、ここでのむずむずやイライラも肥やしになるのだと思い、じっとこらえながら読んでいる。


ああ、思いついた順に、なんら脈絡もないことを展開もオチもなにもないまま書いていくこの形式は、ほんとうにラクだなあ。構造をもった文章にしなくていいというか、要するに考えなくていいんだもんねえ。

鬼にカネボウ。
201

古賀史健

古賀史健(2018)

古賀史健の note、2018年分です。
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コメント1件

自分は毎日の日記をこんな感じで書いてます。そうか構造を無視していいからラクなんだ...と発見しました。
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