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そういえば、の関係を。

きょうは3月11日だ。

震災が起きた2011年の3月、ぼくは加藤貞顕さんと一緒に、本をつくっていた。取材のため一緒に中国へ渡ったのが、たしか2月。いちばん寒い時期の北京だった。早朝にホテルを抜け出して、塩からい牛の佃煮が載ったおかゆを食べた食堂のまぶしさを、なぜだかよく憶えている。「震災から8年」といわれてもいまいちピンとこないのだけど、あそこでおかゆを食べたのがその年だったんだよ、と言われると、ずいぶんむかしのことだなあ、という気がしてしまう。

おもえばこの8年、一貫して「忘れない」というキーワードが大事にされてきた。「忘れない」ことを目的としたイベント、シンポジウム、そして報道などをたくさん目にしてきた。ときにそれは忘れることを悪とするような、義務感めいたなにかを感じさせるものだった。


忘れるということ、について考える。

たとえばいま、ぼくは月に何度も東北のことを思い出す。セーターに袖を通すたびに気仙沼ニッティングのことを思い出すし、濃厚なラーメンを食べると気仙沼の「まるき」を思い出す。鍋をつくればめかぶのしゃぶしゃぶを思い出し、醤油の瓶を手に取れば相馬のヤマブン姉妹さんを思い出す。「そういえば、あの店どうしてるかな」「そういえば、あの人どうしてるかな」というレベルで、東北やそこに住む人たちを思い出す。

この「そういえば」があるあいだ、ぼくは東北の人たちのことを忘れないのだろう。というか、東北の人たちとつながっているのだろう。ぼくは「そういえば」でつながっている関係を、決してうすいものだとは思わない。だってそうだろう、「そういえば」と思い出すことさえかなわない人や土地が、大半なのだ。


きょうという日に「そういえば」の語は、ふさわしくない。でも、たとえば来週や再来週のどこかで「そういえば、あの人どうしてるかな」と思える人でありたいし、思える関係をつくっていきたいのだ。それは自分が好きな、誰に対しても。