ハリルホジッチさんのこと。

先の報道以来、ずっとハリルホジッチさんのことを考えている。

代表監督解任というトピックについては、もうたくさんのスポーツジャーナリストの方々がそれぞれの見解を述べているし、いまさら協会批判の列に加わろうとも思わない。ただ、ハリルホジッチさんのことを考えている。自分が彼の立場にいたらどうだったんだろう、と。

正直な話、ぼくはハリルホジッチさんという人のことが、最後の最後までよくわからなかった。彼のめざすサッカーについても——ほんとうはもっと深い狙いや考えがあったのだとは思うけれど——よくわからなかったし、おもしろいと思えなかった。言い訳や責任転嫁、強弁に満ちたメディア対応にも辟易していたし、たとえばオシムさんのような「話を聞くだけでもおもしろい人」ではまったくなかったと思う。解任の引き金となったマリ戦・ウクライナ戦においては、選手たちの萎縮が顕著だったし、たのしそうにボールを蹴っていたのは中島翔哉だけで、あとのみんなはボールが回ってくることさえ怖がっているように映った。ほんとうに空中分解寸前のチーム状況だったのだと思う。

けれどもまあ、この時期に突然解任されたハリルホジッチさんは、さぞかし無念だろうと思う。ここからやりたいことは、たくさんあっただろうと思う。サッカーにこのたとえはおかしいけれど、メディアからの批判が高まり、チーム内での軋轢が顕在化するほど、最後の最後の大本番で一発逆転の満塁ホームランを打ちたかっただろうし、その準備に励んでいたはずだと想像する。

しかし最終打席に向かおうと立ち上がったその瞬間、代打を告げられ、試合中に戦力外通告をされた。そんな気分だったのではないだろうか。


もったいないなあ、と思うのは、ハリルホジッチさんが今回、自らを変える機会を失したことだ。もしも本大会に出場してボロ負けしていたら、たくさんの言い訳や責任転嫁をくり返しながらも、反省と変容の機会となっただろう。けれど、この(理不尽なタイミングでの)解任のおかげで、彼は今後ずっと「もし、あのまま本大会に臨んでいたら、かならずやれた。かならず勝てた」の強弁をくり返すことになるだろう。彼のことを消極的ながらも支持してきたファンや評論家もそれは同じだ。このへんは『嫌われる勇気』のなかでもくり返し指摘してきたことだけれど、人は「もし、○○だったら」という可能性のなかに生きているかぎり、自分を変えていくことはできない。


とってもむずかしい話だと自分でもわかっているけれど、長い人生においては「負けておくべき戦い」のようなものが、きっとあるはずだとぼくは思っている。それはハリルホジッチさんやサッカー日本代表にかぎらず、ぼく個人の仕事や人生においても、まったくそうだ。

負けて終わる戦いもあれば、負けてはじまる人生もあるのだ。きっと。

武士は食わねど高橋ジョージ。
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古賀史健

ライター。バトンズ代表。著書「嫌われる勇気」「古賀史健がまとめた糸井重里のこと。」「20歳の自分に受けさせたい文章講義」など。週日更新しています。http://www.batons.jp

古賀史健(2018)

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