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わたしにとって、それは切実な課題なのか。

嫌われる勇気』という本をつくったとき、ぼくは39歳だった。

刊行されたときには40歳になっていたけれど、最終稿を書き上げた時点ではギリギリ30代だったので、「ああ、40歳までにこれを書き上げることができてほんとうによかった」と思った夜のことを、いまでもよく憶えている。たぶん、昭和の時代によく言われた「40歳までにマイホーム」にも似た区切りとして、40歳までになにかを成したい、自分がこころから満足できる本を出したい、と願っていたのだろう。

これはしばしば誤解を受けるところなのだが、『嫌われる勇気』という本は「アドラー心理学の入門書」ではない。あくまでもあの本は、アドラーが残した遺産(思想)のうち、青年であるぼくにとって切実だった課題にだけスポットを当てて編集した、いわば「青年のためのアドラー心理学」だ。

その意味でいうと『嫌われる勇気』には、アドラーが熱心に取り組んでいた大切なテーマが抜け落ちている。続編の『幸せになる勇気』は、そこを補完するためにつくられた。アドラーが生涯をかけて取り組んだ、「子どもの教育」というテーマだ。彼は精神科医や心理学者であることを超えた、ひとりの教育者だったのだと、ぼくは思っている。


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前置きが長くなってしまったけれど、うちの会社の田中裕子さんが構成を担当した『92歳の現役保育士が伝えたい親子で幸せになる子育て』(大川繁子著)が、きのう刊行された。

栃木県足利市で現役の保育士として活躍されている大川繁子さん(92歳!)による、初の著書だ。大川さんの保育園では、何十年も前からモンテッソーリ教育とアドラー心理学を取り入れ、独自の子育てを実践されているのだという。

ゲラ(出力紙)段階の原稿を読んで、「ああ、たしかにこの園にはアドラー心理学が染み込んでいる」と感じた。

モンテッソーリ教育やアドラー心理学について、著者の大川繁子さんは「自分よりも(園長である)息子のほうが詳しいんですよ」と謙遜気味に語る。もちろん知識としてはそうなのだろうけど、そしてモンテッソーリ教育のことはよく知らないぼくだけれど、大事なのは知識じゃない。


子どもに「人格」を認めること。

子どもを子ども扱いせず、大人扱いもせず、対等な「人間扱い」すること。

つまりは子どもを信じ抜くこと。

自立を妨げかねない「愛情」よりも大切な、「信頼」を寄せ続けること。


そんなアドラーの思想が、付け焼き刃の知識やマニュアルとしてではなく、ともに生きる人の態度として貫かれているように感じた。


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そしてもうひとつ、これは子育てが切実な課題になった、いまの田中さんだからこそ、まとめることのできた本だとも感じた。

少なくとも彼女と同じ年齢のときのぼくだったら、ここまで問題意識を共有しながら大川繁子さんや読者(子育てに悩む親御さんたち)に寄り添うことはできなかっただろう。なんといっても30代のぼくは、暑苦しい「青年の悩み」しか眼中になかったのだ。


同僚の手掛けた本を紹介するのは宣伝っぽくもあるし、なんとなく気後れしてしまうのだけど、感じること・考えることの多い本だったので書かせていただきました。Amazonのリンクも貼っておきます。