いきなりレジェンド問題。
たとえば、ジミ・ヘンドリックスという人がいる。
ぼくが生まれるよりも前に亡くなった、とんでもギタリストだ。「ジミヘン」という音を知り、その存在を知ったとき、彼はすでに歴史上の人物だった。ぼくは「伝説のスーパーギタリスト」として彼の音源を買い、なんとか理解しようと聴き込んだ。「こんなのぜんぜんよくないよ」などと言えるはずもないほど、ジミヘンは評価の定まったレジェンドだった。神様でさえあった。高校生のぼくに残された選択肢は、ただ「わかる」か「わからない」かだけだった。
一方、たとえば同時代を生きたミュージシャンに、カート・コバーンという人がいる。ぼくが高校生のころにデビューし、ジミヘンと同じく27歳でこの世を去った、ニルヴァーナのボーカリストだ。
いまや完全な「伝説」になってしまった彼やニルヴァーナについてであれば、ぼくは好きや嫌いがはっきりと言える。ニルヴァーナのことは大好きだけど、あんまり伝説扱いが行き過ぎた話を聞くと、そんなにありがたがるものでもないよ、と思う気持ちも出てくる。
そんなこんなで頭をよぎるのは、やっぱりローリング・ストーンズだ。
十分すぎるほどに「生ける伝説」な彼らだけど、その語られ方は、やはりジミヘンとかとはぜんぜん違っている。
継続は、神格化を斥ける。プラスもマイナスも含め、評価の確定を斥ける。それがたぶん、「生きる」ということなんだろう。
伝説じゃなかったころのジミヘンに会ってみたかったなあ。
……なんか疲れてて、音楽の話だったら気軽に書けるだろうと思って書いてみたものの、けっきょく気軽じゃない感じのものになっちゃいましたね。まあ、こういう日もあるでしょう、生きているんですから。