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ビッグ3の一人称。

以前、プロゴルファーの青木功さんに取材したことがある。

正確にいうと、編集者の佐渡島庸平さんが青木功さんに取材し、その音源をもらって原稿にまとめたことがある。その日ぼくは別の取材が入っていて、どうしても同行できなかったのだ。とてもおもしろい取材だった。いっぺんで青木功さんのファンになった。

話が熱を帯びてくると、青木さんは一人称を「アオキ」に変えて語りだす。「そんなアオキの姿を見て、コンチクショーって思うんだったら……」というように、「俺」だった一人称をちょいちょい「アオキ」に変えてくる。

いやあ、おもしろいなあ。

テープを聴きながら思いだしたのは、当然この方だった。


ほぼ日刊イトイ新聞の創刊21周年記念としておこなわれた、矢沢永吉さんと糸井重里さんの対談。本日更新分の回(第12回)でも、矢沢さんはこんなふうに言っている。


糸井  わかるなー、それは(笑)。
    それまで、フェスは出てなかったもんね。

矢沢  ま、ある意味、世間知らずだし、
    矢沢、ちょっと頑固だから、
    「夏フェス? 俺が出るわけねぇーだろ」

一同  (笑)

矢沢  っていうのがあったんですよ。


矢沢永吉さんの一人称は、「俺」にもなるし「ぼく」にもなるし、びしっとヨロシク「矢沢」にもなる。おもしろいのは、常態の矢沢永吉というスターが、世間的なイメージである「俺」や「矢沢」ではなく、「ぼく」を一人称としているところだ。そこが、矢沢永吉という人の素敵さ、真摯さ、そしてこの対談で言及されている「三枚目」なところ、ぜんぶを表しているような気がする。

ぼくが青木功さんの原稿を書くとき、『成りあがり』を大いに参考にさせていただいたのは、言うまでもない。


そして海外にももうひとり、青木功や矢沢永吉の系譜を引き継ぐスーパースターがいる。

ディエゴ・アルマンド・マラドーナだ。

マラドーナもちょいちょい、自分の一人称を「マラドーナ」として語るらしく、国民の9割以上がカトリック教徒であるアルゼンチンにおいて、それはまさに「神の子」の振る舞いなのだそうだ。



ぼくの一人称は、「ぼく」が8割、「俺」が2割かなあ。

「わたし」と言おうとすると、もうだめですね。舌がもつれそうになって、その「わたしと言おうとしているおれ」に緊張してしまいます。