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ソーキそばを食べた話。

本日の昼食は、ソーキそばだった。

書くことが浮かばないときには、こうして無理やりにでもことばを置く。書道でいえば、半紙に筆を置くようなものだ。そのまま動かずにいれば、墨汁がひたひた半紙に染みわたり、気持ちも姿もよろしくないぶよぶよの暗黒になってしまう。筆は、置くからこそ動きはじめ、置いたその場所が始点となる。


ということで、ソーキそば。

もともとぼくは、出されたものは完食しないと気がすまない雑食系男子だ。うまいまずいに関係なく、多い少ないに関わらず、なんでもきれいに平らげる。ところが今日食べたソーキそばは、ほんとにひどかった。ケミカルな和風だしに塩と醤油をぶっこんだだけのぬるいスープ。かちかちに硬直した骨だらけの豚角煮。粉っぽくてぼそぼその、噛む気も失せるちぢれ中太麺。おそらくは数年ぶりだろう。まずい、というだけの理由で食べ残してしまった。海原雄山であれば「店主を呼べい!」と声を荒げるところだったはずだ。

寒風吹きすさぶオフィスまでの帰り道、ひとり考えた。


「どうしてあんなにまずくなるのだろう?」


学生時代、ぼくは焼肉としゃぶしゃぶを出す店でバイトしていた。アルバイトの学生たちに支給される夕食は、6割がほっかほか亭のお弁当で、4割がまかないだった。店長の気が向いたとき、食材が余っているとき、お客さんが少ないとき、いろんなまかない料理を食べさせてもらった。バイト生たちはみな、「まかないの日」をたのしみにしていた。

まかないがおいしい店は、お客さんに出しているメニューもおいしい。それは料理人の腕がいいという以前に「自分たちがお客さんになる機会」が多いからだろう。お客さんとしての自分が「まずい」と思うような料理にはなんらかの改善が図られるだろうし、そもそもメニューにならない。お客さんとしての自分が「うまい」と思い、その店や料理のファンになったとき、はじめてお店は繁盛する。

きょう食べたソーキそばは、チェーン居酒屋のランチメニューだった。「まかないによる発見と改善」ができないチェーン店は、今後ますます淘汰されていくのだろう。


そうやって考えるとこのブログ(note)も、ある種のまかない料理といえなくはない。ぼくはこれを、市販のお弁当よりもおいしく食べているのだろうか。書くだけ書いて、「あんなの読めたもんじゃない」と思っていないか。


……と、うっかりなにかにケチをつけるみたいな話をしようとすると、かならず「おれはどうなんだっけ?」に行きつくんですよね。