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姓はともかく、ぼくはお前の。

「へえ、お名前はなんて言うんですか?」

道端で、公園で、どこかのお店で、あるいは動物病院で。犬を連れてどこかに出かけたとき、犬に関心を持ってくれた人は、ほとんどかならずそう訊いてくれる。鼻炎持ちで、しかも緊張すると喉が狭まり声の詰まるぼくは、言い淀むようにしてちいさく、「ぺだるです」と答える。

10人中の、そうだなあ、感覚的には6人くらいは「えっ?」と訊き返す。あわててぼくは、「あ、ぺだるです。えっと、自転車とかのペダルと同じ…」などと言い添える。曇りが晴れたように相手は「ああ、自転車がお好きなんですね」と納得してくれる。

残念ながら違う。「ぺだる」の音が好きなのだ。音の快感だけでつけた名前なのだ。そのあたり、どう説明していいものか困ってしまって、うやむやのまま話が途切れる。

お前、やっぱりわかりにくい名前なんだなあ、とその顔を見る。

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ドコノコを見ていると、犬たちよりも猫のほうが、おもしろい名前をつけやすそうだ。散歩という日課があり、往来でその名を呼ぶことの多い犬は、たとえば「カール・クラウザー三世」みたいな名前をつけることがなかなかむずかしい。緊急の呼び声だってあるわけで、たとえカール・クラウザー三世の名を与えたとしてもきっと、「カール」と呼ばれることになるだろう。

一方、在宅を基本とし、人前で名前を呼んでどうこうする必要性の少ない猫は、「カール・クラウザー三世」でも「箔押し銀次郎」でも、なんでもかまわない。犬と比べて猫の名前に社会性は低く、「わたしとあなた」がわかり合っていれば、それでいい。そもそもどんな名前をつけようと、人間の呼び声をシカトするのが猫という神さまのありかただ。


うちの犬は、自分の名前が「ぺだる」であることは知っている。「ぺだる」と呼んだり、「ぺー」と呼んだり、「ぺーちゃん」と呼んだりすれば、一応こちらを振り向く。

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けれども彼は間違いなく、自分が「古賀」であることを知らない。

そもそも「古賀」ではないのかもしれないし、そうやって家族であることを押しつけるのは人間のエゴなのかもしれない。そして正直、彼は「古賀ぺだる」であるより、ただの「ぺだる」であるほうが似合っている。


まあ、姓はともかく「おとうさん」ではありたいんだよなー、ぼくは彼の。

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