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きのう食べた焼き鳥。

まだおいしい。

これも加齢の一環なのか、最近早朝に目覚めてトイレに行くことが習い性になったぼくは、無事に夜明けの小用を足して二度寝に入る際、たしかにそう思った。口のなかが、まだおいしい。きのうの夜に食べた焼き鳥の余韻が、しっかり残っていたのである。

もちろん寝る前には歯を磨いている。リステリンと電動ハブラシを使って念入りに、口腔内をチャラにしている。烏龍茶だって何杯も飲んだし、食事から6時間以上、就寝からだって4時間以上は経過している。

にもかかわらず、まだおいしいのだ。それは舌に残るおいしさというより、海馬なのかなんなのか、脳のいずこかに残った記憶のおいしさなのだろう。しあわせだなあ。ぼくは脇腹あたりでまるくなる犬の匂いと体温を感じとめながら、二度寝した。深刻な寝坊をしてしまうほどにそれは、気持ちのいい眠りだった。


本をつくるとき、ぼくはいつも「まだおいしい」をめざしている。

うめえうめえ、とページをめくってもらうのはもちろんのこと、読み終えたあと(読書という食事を終えたあと)、何時間たっても「まだおいしい」と思い出してもらえるような本。そんな本というか、読後感をめざしている。空腹を満たす、という生理的で栄養学的な欲求を超えてもなお持続し、場合によっては育ちさえする「まだおいしい」を。

もちろん、好奇心という空腹を即効的に満たしてあげることを目的とした、ファストフードのような読みものが支持されるのもわかるし、ぼくとて毎日そういうものを摂取している。けれどもまあ、せっかくつくるのであれば、翌朝そのまま排泄されてしまうような情報のファストフードではなく、何日経っても「まだおいしい」と思ってもらえる本を、ぼくはつくりたいのだ。たとえ大量生産がむずかしかったとしても。


ああ、きのうの焼き鳥はほんとにおいしかったなあ。いまでもおいしいし、明日になってもたぶん、おいしいよ。