読者の発見、書き手の発明

きのう、編集のKさんに「それ note に書いてくださいよ」と言われたので書いてみます。


おもしろい本には、なにかしらの「発見」がある。

ここでの「発見」とは、新大陸発見的な、まったく新規で未知の情報、という意味に限らない。たとえば、普段から「なんとなく思っていたこと」に言葉が与えられ、文脈が与えられ、比較対象のなかに配置され、その輪郭がしっかりと浮かび上がってくるような論考。これもひとつの「発見」であり、スリリングな読書体験だ。

そして読者にとっての「発見」を提供しようと思うなら、書き手には「発明」が必要だ。「発明」のないまま紹介される知の流用は、有意義な情報にはなりえても、読書体験としての「発見」にはつながらない。

じゃあ、書き手にとっての「発明」とは、なにか?

それは「書く前の自分を超えること」だ。

書く前には3や5だった対象への理解度が、書くプロセスのなかで10や20になる。あたまのなかの情報をそのままトレースするのではなく、あたまのなかに散らばったレゴブロックを集め、並べ、右から眺め、左から眺め、足し、引き、組み立て、壊し、また組み立てていく。結果、自分でも思ってもなかったようななにかができあがる。「こういうことだったのか」と、書き手自身がそこに描かれた輪郭に驚く。

言葉としての華々しさと違い、「発明」は地味な作業だ。すべてのページに、すべてのパラグラフに、ちいさな「発明」が入ることで、ようやくその本はおもしろくなる。

……というような話を壮行会と称するお酒の席でしゃべっていたところ、冒頭の台詞がK氏から飛び出したのでした。こんな感じでいいでしょうか?

桃栗三年、カキうまいねん。
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古賀史健

『工作ビデオ_うちの子用』って?

時空間的に最大限にパーソナル。テーマが出現したら編集を考える。安っぽく見えてもほんとはリッチ! うちの子に愛されっ放し!
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