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考えることと、話すこと。

「これからメシ、行きませんか?」

きのうの夜、急に加藤貞顕さんから連絡が入った。なにかと忙しい人であり、こちらの忙しさを知っているはずの人でもあるので、よほど火急の用件があるのだろう。悩みなのか、相談事なのか、トラブルなのかがあるのだろう。早々に仕事を切り上げ、会いに行った。

と、ここにそれを書いている時点でおわかりだろうが、火急の用件でも相談事でもなんでもない。もしも深刻な相談事だったら書けるはずもないのだ。加藤さんはただ、先日ぼくがここに書いた「事業」の話が気になり、それを聞き出すために呼び出したのだった。


取材時の編集者にはいろんなタイプがあって、加藤さんは間違いなく「面接官タイプ」の取材者だ。決して圧迫面接をする人ではない(そういう取材者・編集者もいる)けれど、一定の圧はあるし、こちらがしっかりした軸や答えをもっていなければ、話しているうちにそれを自覚させられる。批判されたり否定されたりするわけではないのに、なんとなく自分の不足点に気づかされる。そして彼の質問に答えているうちに、取材前には考えてもなかったアイデアや本音に遭遇する。そういうタイプの、タフな取材者だ。

なので加藤さんから「事業のこと聞かせてくださいよ」と言われたとき、ぼくは真っ先に「やだー。そんな面接みたいなの、やだー」と駄々をこねた。


はい、本題はここからです。


いくら頭のなかで「考えてる」と思っていても、それは「考えてるシール」を貼りつけた空き瓶であることが多い。ちゃんと栓を抜いて、グラスに注いで、「あれっ? 空っぽじゃん!」を人前で自覚しないと、ほんとうの考えにつながらない。ぼくの場合は「書く」という行為を通じて、ひとりのときでも己の空き瓶っぷりを自覚できるようにしているのだけど、いずれにせよ言葉にしてアウトプットしないと考えは深まっていかない。

きのう、トルコ料理をつつきながら加藤さんを前に自分の頭にあるプランをつらつらしゃべってみて、いろんな穴が浮き彫りになった。

しばらく、いろんな人に会って、いろいろ話をしてみよう。