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締切とはなんなのか。

毎日更新するというルールのもとに書いてきた、この note。

ドタバタと仕事をしていたら23時30分。つまり残り30分で書き上げなければならぬ、というけっこうスリリングな時間になってきました。そこできょうは「締切」なるものの正体について書いてみたいと思います。

よく言いますよね、どんなクリエイターも締切がなければ書き上げられない、って。あるいはもっと、「なぜ書くのか? そこに締切があるからだ」とも。

それでぼくもいちおうはライターとして、締切を遵守する人生を歩んできたつもりだったんだけど、正直なところこの数年、締切を大幅にオーバーしてしまう機会が増えてきました。

なぜか。自堕落になったのか。調子に乗ってるのか。


違うんです。気づいちゃったんですよ。

究極の究極のところでいうと、締切って「都合」なんだということに。

なぜ締切を守れと尻を叩かれるのか。それって多くの場合は誰かの「都合」を損ねちゃうからなんですよね。もちろん雑誌や新聞みたいに、原稿が落ちると白ページになっちゃう、というプロダクトとしての「都合」もあるでしょう。あるいは単にあのひとに迷惑をかけるとか、あのひとに怒られるとか、対人関係面での「都合」もあるでしょう。それを軽視していいとは思いません。

でも、なんらかの「都合」を優先した結果、コンテンツのクオリティがおろそかになってしまうようでは、まさに本末転倒だと思うのです。

もしもあと1週間締切を延ばすことによってコンテンツのクオリティが向上するのならば、その他の「都合」には折り合いをつけてもらう。そういう考え方があってもいいんじゃないかなぁ、と思うようになってきたんですよね。


ええ、わかっています。つべこべ言わず、締切までにクオリティの高い原稿を仕上げればいいだけの話。つまりはこれもぼくの「都合」でしかないんです。

えーん。