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バッグの重さは不安の表れである。

最近というわけではないのだろうけど、ふと気がつくと電車や街中で見かけるビジネスマンに、バックパック姿のひとが増えてきた。ぼくのような職業不詳な格好をした人間だけでなく、濃紺やグレーのスーツに身を包んだ、しっかりネクタイを締めてなんならめがねをかけた銀行員風のビジネスマンにも、このスタイルが増えている。ブリーフケースを兼ねた3WAYバッグ的なものを含めるなら、その数はかなりにのぼる。

当然ここにはビジネスシーンのカジュアル化、みたいな流れもあるのだろうけど、いちばん大きな理由は、ノートパソコンやらバッテリーの類いを持ち歩くひとが増えたからだろう。ぼく自身、かたちとしてはブリーフケースやトートバッグが好きなのだけど、なんだかんだでバックパックを愛用している。


それでここからが本題なのだけど、ぼくは「バッグの重さと不安の大きさは正比例する」という仮説を持っている。

たとえばぼくのバッグを重い。どうしてこんなに重いんだ、いったいなにが入っているんだと中身を確かめると、資料の束やら本やら書類やら、そしてパソコンの電源やケーブル類、筆記用具の類いがわんさか出てくる。仮にきょう、それらのすべてを家に忘れて、財布ひとつで会社に出てきたとしても、仕事にさほどの支障はない。それでもなぜか「もしかしたら使うかもしれないもの」をぎゅうぎゅうに詰め込んでいるのだ。

これはひとえに、不安の表れなんだと思う。

おかげで、ちいさなハンドバッグひとつで軽やかに歩いている女の子を見ると、いいなあ、と思う。ぼくなんかこんなにたくさんの不安を抱えて歩いているよ、とあこがれの目で見てしまうのだ。