ぼくが考えをまとめるときにやってること
自分の考えをまとめるとき、世間の方々はどうしているのだろうか。
たとえばよく、あたまのなかにあることを紙に書き出しなさい、というアドバイスを耳にする。たしかに企画を考えるとき、ぼくもそれに似たこと(それを少しだけ発展させたこと)をよくやる。けれどもそれは、どちらかというと追い込まれたときにやることだ。普段歩きながらやるようなことじゃない。
で、40年以上生きてきて最近気づいたのだけど、どうやらぼくは歩いているとき、あたまのなかで「自分インタビュー」をやっているようだ。
「古賀さん、トランプ現象についてどう思われますか?」とか、「古賀さん、今度の本について、ひとつだけポイントを挙げるとすれば?」とか、あるいは「あなたはなぜ、そんなにカツカレーが好きなんですか?」とか、架空のインタビュアーがあたまにいて、その質問にいろいろ答えながら歩いている。
このときぼくは、けっこう雄弁だ。うまいたとえを持ち出しながら、おもしろい論理を組み立てながら、なんなら気の利いたオチまでつけて、インタビューに答えている。
ところがそれは、「考えること」のトレーニングにはつながっているけれど、「しゃべること」のトレーニングにはなっていない。しゃべることは、一向にうまくならない。
なぜだろう、なぜかしら。
たぶんぼくは、雄弁なる自分のウソを自覚し、普段なるべくウソの混じらないことばでしゃべろうとしているのだろう。そしてあわあわ言いながら、ウソはないけどとりとめのない、聞きぐるしい話をしているのだろう。
最近、少しだけ音声入力というツールに興味を持っている。
ぼくがつれづれなるままにあたまの中身を音声入力していったら、その文章はどんなものになるんだろう。雄弁な「自分インタビュー」をそのまま文字にできるのだろうか。それともいつものあわあわになるのだろうか。
そのうち試してみたいと思います。