見出し画像

ついにおれにも超人がやってきた。

目が疲れてるのかな、と思う。

ぼくは普段、寝るときに iPhone の Kindle アプリで本を読みながら眠るのだけれど、読もうとする文字がにじみ、目がしばしばする。なんの気なしに画面を少し、ほんの10cmほど遠ざけると、ばっちりピントが合う。ぼくが英語話者であったならば書くだろう。「OMG!」と。なんてこったい、どうやらぼくにも超人ハルク・ホーガンが、いや、軽く老眼が襲ってきたのである。

軽く、と付け足したのは別に、ハルク・ホーガンを書きたかったからではなく、ほんとうにまだ初期症状だと思われるからだ。

白髪も増え、薄毛も進行し、よもや笑い皺とはいえないほうれい線がくっきり跡を残すようになった40代以降の日々。いずれの加齢もほどほどに許容してきたぼくだけれど、老眼というのはちょっとさみしさをおぼえる。

新卒時代に全国チェーンのメガネ店に勤務し、ぐんぐん出世を果たして同期の幹部候補生ベスト10だかなんだかに選ばれた過去を持つぼくは、老眼のからくりをそれなりによく理解しているつもりだ。

人間の眼球、そこにはめこまれた水晶体と呼ばれるレンズは、自らの厚みを変化させることによってピント調整をおこなう。遠くを見るときには薄くなり、近くを見るときには厚くなる。それが水晶体というレンズの不思議だ。

しかし加齢によって水晶体はその柔軟性を失い、ずんずんこちこち固くなっていく。そのため近くを見ようとしても厚くならず、うまくピントが合わせられない。これが老眼と呼ばれる状態で、近眼とは違いレーシック的な外科手術によって改善できるものではない。カメラに置き換えていえば、マクロ撮影もカバーしたズームレンズだった目が、単焦点の標準レンズに変わるようなものだ。


で、どうしてこのようなあんまりうれしくない加齢現象をわざわざ書いているかというと、いま感じているこの居心地の悪さを、ちゃんとおぼえておきたいからである。白髪が増えはじめたときにも「いやだなあ」とか「おれも例外なく、そっちに進んでいるのだなあ」とか思ったはずなんだけれど、いまとなっては白髪が一本もなかった自分のこと、その頭髪への自己認識などまるで思い出せない。同様に、老眼についてもいつしかこれが当たり前になるはずで、そうなる前にこの「どっちでもない時期の自分」をことばにしておきたいのである。

いまはね、とりあえず携帯画面をすっと10cmほど遠ざける瞬間、せつないなあと思っちゃうし、「いまの動き、誰かに見られちゃったかな」なんてことも考えちゃいますね。誰にどう見られようと別にいいはずなのに。