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ものぐさの言い訳。

あやうく失念するところだった。

ぼくが履歴書に記載することのできる唯一の資格めいたもの、普通自動車運転免許証の更新である。五年に一度の恒例行事。十代の終わりに取った免許なので、もう何度となく更新手続きを踏んでいる計算になる。

ところが、まあ何度やっても忘れてしまうのがその手続きであって、たとえば今回ぼくは免許更新の通知ハガキを紛失しているのだけど、それが更新の際に必要なのかどうか、よくおぼえていない。あるいは住民票などの本人確認書類が必要だったのかどうかも、記憶があいまいだ。写真の撮影、印紙の購入、講習のスケジュールと所要時間、なにもかもがぼんやりしている。

2000年代以降、こういう輩に対して「ググれカス」という冷たいことばを投げかける人々が増えてしまったのだが、そんな話がしたいんじゃない。どうせ五年前の更新時にもぼくは手続きの諸々を失念し、ググったはずなのだ。そして今回また、せっかくググった知識を忘れてしまっているのだ。


これと近い感覚に、引越がある。

引越をするたびぼくは「あとなにが必要なんだっけ?」とおたおたし、たとえば住民票の移動とか、電気やガスに水道、あるいはカード類の住所変更手続きなどに追われる。実際、去年にも十年ぶりくらいの引越をやったのだけど、社会人としてやるべき手続きの多くを失念し、やはり「引越 手続き」などの語でググり、いまも旧住所宛の郵便物が転送されてきたりしている。


結論のないまま書いているのだけど、要するにこれ、忘れてしまっているのではなく、はなからおぼえようとしていないのだ。パソコンのファイルでいうと「control+S」を押すことなく、保存しないまま削除している情報なのだ。

年をとると物忘れが激しくなるというけれど、ほんとうは物覚えが億劫になるというだけのことであって、それを脳の経年劣化的問題とするのは、ものぐさの言い訳である。

考えてみると、ぼくの口にする困難の多くは「ものぐさの言い訳」であるよなあ。まあ、今月も残りがんばります。