すべての額縁を叩き割ろう

人とおしゃべりしていて、どうにもおもしろくならないとき。なんでこの人との会話は盛り上がらないんだろうと思うとき。あるいはもっと強く、不毛だと感じてしまうとき。

それってたぶん、相手の「答え」が決まっているときじゃないかと思います。

わかりやすく、「自分の考え」を一枚の絵にたとえてみましょう。たぶん話してておもしろい人って、絵を最後まで描き上げてないというか、まだ額縁に入れてなくって、キャンバスがイーゼルにのったままなんですよね。これからもぜんぜん塗り足すよ、なんなら木の一本くらい描き加えたっていいんだよ、と絵筆片手に話してる。もちろんほんとうに描き足すことはめったにないんだろうけど、その「姿勢」は残ってる。

おれもそうだよ、と思う人は多いでしょう。

でもねえ、この「自分の考え」という名の絵って、自分でも気づかないうちに額縁に入っちゃってるものなんですよ。そうとう意識的に「まだ描くぞ」「まだ塗り終わってないぞ」と自分に言い聞かせるか、いっそ端っこあたりに余白を設けてるかしないと。

ぼくは20代の終わりくらいに「答えを決めない」って決めたんですけど、これがまあ、ほんとにむずかしい。たぶんぼくのこころの奥の部屋にも、何枚か額縁に入っちゃった絵は飾られてると思います。

そしてまた、ぜんぜん未熟なのに、あるいは聞きかじりでしかないのに、答えを額縁に入れちゃった人、それ以上ものごとを考えようとしない人のことを、きっと「若年寄」というのでしょう。

若さって、年齢の問題ではなく、元気の問題でもなく、自分を変えられるか否か、の問題なんだと思います。

馬の耳に壇蜜。
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古賀史健

何度も読み返したい素敵な文章の数々vol.10

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コメント2件

自分の心の中の額縁に入れた絵なんて気づかなかったですよ。心の奥に見に行ってみますよ。もしかして、額縁をピカピカに磨いてキッチリ飾ってあったり、奥〜の方で、埃かぶって壁と同化して自分でも見えない額縁に入った絵もあるんじゃないかと。
イメージの広がるブログでした。
額縁に入っている安心感、居心地の良さから抜け出せなり、いつしかそこが額縁の中だってことさえも忘れてしまうのかもしれませんね。
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